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フジ子・ヘミングさん。「待っておれ。それは必ず来る。遅くなるかも知れないが、待っておれ」。

フジ子ヘミングさんというピアニストをご存じでしょうか?

右耳の聴覚を16歳の時に失いながら、
ピアノを弾き続け、1999年その半生を紹介したテレビ番組で、
一躍注目され、人気ピアニストになった方です。

こちらは、そのNHKで1999年に放映された、
番組『フジコ』『フジコ ふたたび』に新映像を追加し、
再編集した作品。
フジコ~あるピアニストの軌跡~ [DVD]》(アマゾン)

そのフジ子ヘミングさんが《追憶の風景》との
朝日新聞夕刊の連載に登場しています。

2010年11月16日、朝日新聞夕刊。《追憶の風景》
《パリ 笑顔になれる粋な街》

フジ子さんの思い出の風景は、パリ。

ピアニストのお母さんは、スウェーデン人のお父さんと結婚。
フジ子さんをベルリンで生み育てました。

9歳の時に日本に帰ってきたフジ子さんは、
ドビッシーの「アラベスク」を聴いて、「天から聞こえてくる音楽だ」
と思ったそうです。

以来、ずっと憧れていたのはフランス。

1999年のテレビ番組のおかげで、空からお金が降るようになった
フジ子さんは、パリのモンマルトルに部屋を持ちます。

今では、そのモンマルトルの部屋での
ネコとの生活が非常に気に入っているようです。

フジ子・ヘミング、パリからの風-素敵なモンマルトルの部屋、
そしてパリで描いた初めての絵本“紙のピアノ物語”- [DVD]
 
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この暮らしを手に入れるまでのフジ子さんは長い不遇の時代を過ごします。

お母さんからはへたくそと言われ続け、
戦後、海外に行こうと思ったら、無国籍になっていた。

ようやく難民のパスポートでドイツに。
しかしドイツでの暮らしは貧しく、
在ドイツの日本人からも遠ざけられる日々。

この記事の中で、引かれたところは、以下の部分です。
(フジ子さんの本にすでに紹介されたエピソードですが)

お母さんが亡くなって、フジ子さんは95年に日本に帰ってきました。

《ある日、近所の教会でお祈りしていると、配られた紙に、聖書の言葉が
あった。「待っておれ。それは必ず来る。遅くなるかも知れないが、待っておれ」と。》

皆さんは、この後、どうなったと思われますか?

《「知ってますとも、神様。けどね。あんたは私を忘れた。もうダメ。信用できない」
と思った。その1週間後、テレビ局が来たのよ。》

記事は、最後に医師でオルガン奏者でもあった
シュバイツァーの言葉を紹介しています。

《シュバイツァーは「人生の苦しみから逃れる方法。それはネコと音楽」》。

フジ子さんは大のネコ好き。

この言葉を受け、「本当ね」と同意し、
《パリで素晴らしいオーケストラを聴けば、心から笑顔になれる。
どんな嫌な記憶も、良い音楽が、すべて忘れさせてくれる》。と

希望を捨てず、待ち続けること。
待つ時間の大切さを感じました。

フジ子・ヘミング 運命の力》(アマゾン)

2010年11月16日、朝日新聞夕刊。
《笑顔になれる粋な街 ピアニスト・フジ子ヘミング 追憶の風景 パリ》
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201011160266.html


上の言葉は、ハバクク書第2章3節にある。

《For the vision is yet for an appointed time, but at the end it shall speak, and not lie:
though it tarry, wait for it; because it will surely come, it will not tarry.
http://www.angelfire.com/alt/scmerritt/bible/B35C002.htm


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nikitoki

2020年2月24日の「ファミリーヒストリー」にフジコ・ヘミングさんが取り上げられたせいか、このエントリーにアクセスが集まっています。
「フジコ・ヘミング~母の執念 魂のピアニスト誕生~」
https://www4.nhk.or.jp/famihis/x/2020-02-27/21/8099/1804178/
by nikitoki (2020-02-25 22:20) 

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