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前立腺ガンと闘い続けたゴルファーの杉原輝雄さん、74歳で亡くなる。人生は輝く。

ゴルファーの杉原輝雄さんが、
2011年12月28日朝、亡くなられました。
享年74。

死因は長年、闘い続けた前立腺がんだそうです。

小学校5年生くらいの頃から、
近所の茨木カントリークラブで、キャディーのアルバイトを始め、
中学卒業後、定時制高校に通いながら、今度は、茨木CCの
洗濯係として働きながらゴルフ修行を続け、18歳で研修生となり、
プロを目指し、1957年、20歳でプロテストに合格し、プロとなりました。

初勝利は1962年の「日本オープン」。
以後、通算62勝を上げています。

小さな体で飛距離も出ないというハンディを克服するため、
練習を重ね、長尺ドライバー、ツーピースボールなど、
新しい道具を積極的に取り入れるなどの工夫を重ねます。

そしてツアーでは、「マムシ」と名付けられたように、
決してあきらめないゴルフで、勝利をもぎとってきました。

前立腺ガン以前にも、腱鞘炎、ぎっくり腰、肋骨へのヒビ、腎膿胞など、
数多くの怪我と病気を患ったにも関わらず、復活してきました。

そして最大の敵、前立腺がん。
1997年、告知を受けますが、手術は受けず、
当初は、ホルモン注射を行ったものの、
後には、女性化し、筋肉が落ち、飛距離が出なくなる
というプロゴルファーらしいとも言える理由で、それも中止されています。

そして杉原さんは、当時、まだ一般的には知られていなかった
加圧式トレーニングを受け、筋肉増強に励んでいらっしゃいました。

その鬼気迫るトレーニングの様子をドキュメンタリー番組で、
拝見したことがあります。

そうした厳しいトレーニングの成果が実り、
2007年の「つるやオープン」で、世界最年長記録となる、
68歳10カ月で、レギュラーツアーの予選を突破。
2010年の中日クラウンズでは、アーノルド・パーマ-が、
「マスターズ」で持っていた50回連続という
同一大会連続出場世界記録を塗り替えています。(51回)

選手会の初代会長もつとめ、ツアーの発展にも貢献。
「日本プロゴルフ界のドン」と言われるほどになりました。

誰もが杉原さんのように節制し、自分を追い込むことはできません。

けれど、ガンが告知されても、決して人生は終わりでは無く、
その人の気持ち、行動次第で、その後の人生は輝く、
人生を充実させることができるという可能性を我々に、
示して頂いたと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

《日本ゴルフツアー機構》《杉原輝男》
http://www.jgto.org/jgto/WO05020200Profile.do?playerCd=1258

2004年2月号、
《手術を拒否し、「生涯現役」にこだわる男
前立腺がんと闘い続けたプロゴルファー・杉原輝雄の6年間》
http://www.gsic.jp/survivor/sv_01/04/index.html
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