小正月(女正月)の小豆粥。左義長(どんど焼き)の焼き餅。
1月15日小正月ですね。
小豆粥を召し上がった方も、
まだまだ多いはず。
2018年1月15日の編集手帳は、
紀貫之の「土佐日記」中に、
1月15日を船旅の途中で迎えたので、
「小豆粥煮ず」との記述があると
紹介しています。
そこから、
《小正月に小豆粥を食べる風習は平安時代に
すでに定着していたらしい》と。
また同コラムでは、
《冬至に小豆粥を炊いて厄払いした中国の風習が由来という》
とも。
小さい頃に、親戚のおばあさんから聞いたのは、
「赤くて丸い小豆は、邪を払う力があるので、
小正月には一年の邪を払い無病息災のために、
小豆粥にして食べるのだ」ということでした。
わが家では小豆粥は小豆のみだったのですが、
小さく砕いた鏡餅を入れる所もあるようです。
(わが家は鏡開きの時にお汁粉に入れる)
また小正月を女正月ともいい、
この日は、年末からお正月(=松の内)にかけて、
忙しかった女性をねぎらう休息日でもあったよう。
祖母に聞いた所、昔は女性がおおっぴらに
お酒を飲めなかったらしいのですが、
この日は、女酒と呼ばれるみりん(本みりん)を
飲んでも良かったんだとか。
子どもの時に小正月の行事で覚えているのは、
左義長(どんど焼き)。
自分は左利きで、
小さい時は「ぎっちょ」と呼ばれていました。
(最近は差別になるのか、そう言いませんね)
「ぎっちょ」の語源はこの「左義長」と
聞いたことがあります。
話が逸れました。
左義長は、近くの神社で行なわれました。
家の正月飾り(門松・しめなわ)、
また書き初めなどを持っていって、
一斉に焼き上げます。
その火で餅を焼いて食べると、その年は、
病気にかからないと言われていました。
餅花を飾り、その餅花を焼くところ、
また餅ではなく団子を焼くところなど、
色々みたいですね。
東北出身の大学時代の友人は、健康になるとして、
どんど焼きの灰を、体にまぶしたりしていたそう。
また秋田のかまくらのように、前の日から
わらや木などで小屋を作って、子どもたちだけで、
一緒にご飯を食べて遊んだ後、翌日に燃やしていたとか。
冬休みはもう終わっていたのですが、
とても楽しみだったそう。
最近でも、どんど焼きは各地で
行なわれているようですが、
環境問題、火災予防もあり、
わらで作った本来の左義長のみを燃やし、
お飾りなどは焼却施設でという所も
増えているようです。
また必ずしも15日ではなく、
近い日曜日などに変えているよう。
変化するのは仕方ないですが、
行事自体は、続いて行ってほしいものですね。
関連エントリー
《12月1日「乙子の朔日」。1日、15日の赤ご飯(小豆ご飯、小豆がゆ)。先人の知恵に学ぶ。》
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まだまだ多いはず。
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1月15日を船旅の途中で迎えたので、
「小豆粥煮ず」との記述があると
紹介しています。
そこから、
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すでに定着していたらしい》と。
また同コラムでは、
《冬至に小豆粥を炊いて厄払いした中国の風習が由来という》
とも。
小さい頃に、親戚のおばあさんから聞いたのは、
「赤くて丸い小豆は、邪を払う力があるので、
小正月には一年の邪を払い無病息災のために、
小豆粥にして食べるのだ」ということでした。
わが家では小豆粥は小豆のみだったのですが、
小さく砕いた鏡餅を入れる所もあるようです。
(わが家は鏡開きの時にお汁粉に入れる)
また小正月を女正月ともいい、
この日は、年末からお正月(=松の内)にかけて、
忙しかった女性をねぎらう休息日でもあったよう。
祖母に聞いた所、昔は女性がおおっぴらに
お酒を飲めなかったらしいのですが、
この日は、女酒と呼ばれるみりん(本みりん)を
飲んでも良かったんだとか。
子どもの時に小正月の行事で覚えているのは、
左義長(どんど焼き)。
自分は左利きで、
小さい時は「ぎっちょ」と呼ばれていました。
(最近は差別になるのか、そう言いませんね)
「ぎっちょ」の語源はこの「左義長」と
聞いたことがあります。
話が逸れました。
左義長は、近くの神社で行なわれました。
家の正月飾り(門松・しめなわ)、
また書き初めなどを持っていって、
一斉に焼き上げます。
その火で餅を焼いて食べると、その年は、
病気にかからないと言われていました。
餅花を飾り、その餅花を焼くところ、
また餅ではなく団子を焼くところなど、
色々みたいですね。
東北出身の大学時代の友人は、健康になるとして、
どんど焼きの灰を、体にまぶしたりしていたそう。
また秋田のかまくらのように、前の日から
わらや木などで小屋を作って、子どもたちだけで、
一緒にご飯を食べて遊んだ後、翌日に燃やしていたとか。
冬休みはもう終わっていたのですが、
とても楽しみだったそう。
最近でも、どんど焼きは各地で
行なわれているようですが、
環境問題、火災予防もあり、
わらで作った本来の左義長のみを燃やし、
お飾りなどは焼却施設でという所も
増えているようです。
また必ずしも15日ではなく、
近い日曜日などに変えているよう。
変化するのは仕方ないですが、
行事自体は、続いて行ってほしいものですね。
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