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神田神保町の天丼・とんかつ「いもや」。およそ60年の歴史に幕。青春の想い出の店がまた一軒。

高校生、大学生の頃、よく通っていた
なじみの定食屋。

あなたにはありますか。

少し年上の先輩が、会社を退職。
時間ができたので、昔、大学時代に
通っていた店を訪問することを思い立ち、
いくつか通ったとのこと。

無くなったものはあるものの、
まだ健在な店も数多くあり、
そこでの食事は格別なものがあったそう。

自分の大学生時代の思い出の店の一つが、
神保町の「いもや」。

大学になって知り合った友人が、
初めて連れて行ってくれました。

友人は駿台予備校に通っていたのですが、
その時にこのお店を知ったそうです。

以来、その友達と、時には1人で。
また時には別の友人と、
それこそ数え切れないほど通いました。

ながながと想い出・いきさつを
書いてしまいましたが、
この「いもや」が今日、
平成30年3月31日(土)で閉店するとのこと。



いやー、寂しいですね。

「いもや」が開店したのは昭和34年。
60年弱になりますね。

「いもや」は都内に何店かありますが、
今回閉店するのは、白山通り沿いの
神田神保町の「天丼 いもや」と
「とんかつ いもや」。


どちらも創業者である
故宮田三朗氏が始めた直営店です。
「天丼 いもや」は最初のお店ですね。
(かつて直営店は7店舗ほどあったが、
次第に閉店し最後この2店舗のみとなっていたようです)

こちらの良さは、味はもちろんですが、
店員の態度の良さ、出てくるスピード、
そして値段の安さ。

今は基本の5点盛りの天丼が650円。
(しじみの味噌汁付き、お新香は別注文)

自分はそのまま注文していたのですが、
友達は予備校時代から体調に応じ「ご飯多め」
「少なめ」「エビ1本追加」などと
細かに注文していました。

昼時など客は殺到するのですけれど、
そうした細かな注文の内容、順番を伝票を
使わずに処理し、素早く間違えずに
提供する技には驚かされました。

また自分は注意されたことはなかったのですが、
順番を守らなかったり、勝手に席を移動したり、
食べ方が悪かったり、残したりすると、
店主・店員さんが客を叱っていました。
(「大盛り」は50円プラスだが、全部食べると
50円戻してくれるというサービスは、
自分が行っていた頃はなかったように思う)

頑固親父のピリピリした感じではなく、
心地よい緊張感がお店にあふれていました。

客の方も注文した品が出たら、さっと食べて、
さっと帰るというマナーを身につけていたように
思います。

それらを含めて、いいお店でした。

今、わが家・会社の近くである、
馬喰横山(住所的には東神田)に
「とんかつ いもや」があります。

近いこともあり、こちらもかつては
何度も伺っていました。
(最近、ごぶさたです)

こちらのご主人は、亡くなった
宮田さんの下で修行し、
厳しくしつけられたとのこと。

10年働くと独立のれん分けして
「いもや」を名乗れるそう。

出来るだけ安くて良いものを提供する
という「いもや」の精神を守るというのが、
独立のれん分けにあたって、
守るべきことのよう。

閉店後、残る「いもや」は、この東神田と
神田神保町1丁目の「天ぷら いもや」の2店。

今日は午後7時まで営業。
残念ながらそれには間に合いそうにないので、
近いうちに残る2店を訪れたいですね。

長い間、どうもありがとうございました。

〇のれん分けした「天ぷら いもや 」
(神保町1丁目32)は、4月以降も営業。
(天丼ではなく、天ぷら定食の店)
 
〇神保町1丁目の「天丼 いもや」は、
 「神田天丼家」となったが、移転して、
 現在、神田神保町3-1-14で営業中。

〇のれん分けしたお店で、
 今後も営業する「いもや」は、
 神保町1丁目の「天ぷら・いもや」、
 東京・東神田の「とんかつ・いもや」
 栃木市藤岡町の「とんかつ・いもや」、
 青森県弘前市の「天ぷら・いもや」の4店。

〇早稲田大学近くの面影橋の
 「天麩羅 いもや」も閉店していたんですね。

〇今年1月に「キッチン南海」が閉店と
 の情報が流れたものの誤りだった
 との騒ぎがありました。
 「キッチン南海」にもよく通ったなー。

〇半チャンラーメンの「さぶちゃん」も
 2017年11月で閉店。

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