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福島の出張先で取引先の人が飲んでいた地サイダーで、つぶれた親戚のサイダー屋を思い出す。

福島に出張で来ています。

今日の仕事を終え、
取引先の人たちと
夕食を一緒にとりました。

そのうちの一人は、
アルコール類があまり得意でないので、
飲み物として、磐梯サイダーを選びました。

そこから地サイダーの話になりました。

サイダーを選んだ人は、サイダーが大好きで、
旅行に行ったとき、またインターネットで、
様々な地サイダーを買い求め、飲んでいるのだそう。

実は、自分の実家の裏には、家族経営の
サイダー屋さんがあり、中学くらいの頃まで、
製造を続けていました。

機械で詰めているのですが、どういう加減か
ビンが爆発して、すごい音がすることある。
慣れてはいても、やっぱり驚く。

とのエピソードを披露。

さらに戦前、自分の親戚がサイダー、ラムネ屋を
経営しており、一時は大繁盛し、国内にとどまらず、
海外(朝鮮半島、中国東北部)にまで輸出していた
と聞いた事があります。s

儲かっていたときは、お金が金庫などに
入りきらなかったため、大きな箱に
足で踏み入れていたとか、銀行員(郵便局員)が、
会社に昼と夕方2度、集金しに来ていたなんて話も
聞いたことが。
(なおもう一つ、現金足踏み入れエピソードあり。
別の廻船問屋。船を使った運輸業、商社を経営して親戚は、
終戦直後、粗悪な石鹸を製造販売。売れに売れて、仕入れに来た
業者や消費者が支払った現金をドラム缶に足で踏み入れていたとか)

残念ながら、その栄華は長くは続かず、
多くの業者が誕生し過当競争になったこと、
さらには、この会社の経営権を巡って、
争いが起こったこともあり、分割され、結局、
倒産してしまったとのこと。

小学生の頃、親か親戚の叔母さんに、
その工場があった跡地を訪れたことがあります。
小学生の足では、かなり時間がかかる、
大きな区画一ブロックがその工場でした。

また工場とは別にその親戚の自宅があったのですが、
その家は、相続や借金の支払などで、何度か
分割されたものの、それでもまだ広大な屋敷でした。

そんな話を披露したら、驚いていました。

自分も久しぶりにその話をしたのですが、
話しているうちに、叔父さん叔母さん、
他の親戚の人たちのこと、昔の街並み、
出来事などが次々と蘇ってきて、
なんだかとても懐かしい気分でした。

もう実際には不可能なのですが、
親戚が作っていたサイダー、
小さい時にはよく口にしていた、
実家の裏のサイダー屋さんのサイダー。

また飲んでみたくなりました。






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