親戚の聖火リレーの思い出。
2020年東京五輪の聖火リレーの
コースが発表されました。
残念ながら、1964年の東京五輪、
1972年の札幌五輪、さらに1998年の
長野五輪の聖火リレーも直に見たことが
ないので、来年は、近所を通る聖火を
直接この目で見たいですね。
聖火リレー。
家族や親戚の中で、残念ながら
ランナーとして参加した人は
いないのですが、
沿道で応援した親戚は結構います。
愛媛県の親戚は、同じ町内の人が
聖火ランナーに選ばれたこともあり、
(中・高校時代に陸上をやっていた人)
町内をあげて応援したんだそう。
聖火リレー1964 再現プロジェクト
https://www.nhk.or.jp/tokyo2020/experience/ehime/
愛媛には、松山を中心に
親戚がたくさんいるのですが、
同じ町内の人が選ばれた伯母さん宅は、
松山市内、砥部町に近い場所にあります。
聖火リレーが終わった後、
聖火ランナーも交え
町内では慰労会が開かれたそう。
(実際に走った時間は2分ほど。
その前の待機の時間が長かったらしい)
聖火は、その前に
道後温泉にも立ち寄りました。
その近くには、別の伯母さん宅が。
朝からずっと道後温泉近くで
聖火が来るのを待っていたそう。
ただすごい人だかりで、
また聖火ランナーの前後に
セキュリティーのためか、
一緒に走る人(伴走)がたくさんいて、
沿道では日の丸、五輪旗などを
振っていたりしたためよく見えなかったとか。
聖火がついたトーチは1つだったのですが、
万が一に備え、予備の聖火トーチと種火を
運んでいたんだそう。
(1964年は日本に入って4つに分灯。
4つのコースで聖火リレーが行われた。
その後、聖火は同時に複数の聖火が
ついていてはいけなくなったとのことです)
〇かなり年上の従兄弟が通っていた中学校。
その生徒の中から伴走者が選抜されたようです。
残念ながら従兄弟は選ばれませんでした。
選ばれた生徒たちは毎日、校庭で聖火リレーの
伴走の練習をしていたそう。
伴走車はみな同じ服装。胸に東京そして五輪が描かれた
ランニングシャツ、白い短パン、白のズック靴は、
今でも大切にとっているとのこと。
東京2020オリンピック聖火ランナー募集について
https://tokyo2020.org/jp/special/torch/olympic/torchbearer/
東京2020聖火リレー
https://tokyo2020.org/jp/games/torch/
vol.1 開会式そして日本中を走った聖火リレー
4つのコースに別れて聖火リレーは行われた
https://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/story/vol01_02.html
1964年の東京五輪以前から
住んでいる近所の人たちも、
聖火リレーを見学したようです。
事前に町内会の回覧板でルートと
詳細な日時が知らされたようです。
今でも記憶に残っているとのことで、
やはり記憶に残る出来事だったんですね。
多くの体験した人の話を聴いているうちに、
やはり自分もこの目で見たくなりました。
コースが発表されました。
残念ながら、1964年の東京五輪、
1972年の札幌五輪、さらに1998年の
長野五輪の聖火リレーも直に見たことが
ないので、来年は、近所を通る聖火を
直接この目で見たいですね。
聖火リレー。
家族や親戚の中で、残念ながら
ランナーとして参加した人は
いないのですが、
沿道で応援した親戚は結構います。
愛媛県の親戚は、同じ町内の人が
聖火ランナーに選ばれたこともあり、
(中・高校時代に陸上をやっていた人)
町内をあげて応援したんだそう。
聖火リレー1964 再現プロジェクト
https://www.nhk.or.jp/tokyo2020/experience/ehime/
愛媛には、松山を中心に
親戚がたくさんいるのですが、
同じ町内の人が選ばれた伯母さん宅は、
松山市内、砥部町に近い場所にあります。
聖火リレーが終わった後、
聖火ランナーも交え
町内では慰労会が開かれたそう。
(実際に走った時間は2分ほど。
その前の待機の時間が長かったらしい)
聖火は、その前に
道後温泉にも立ち寄りました。
その近くには、別の伯母さん宅が。
朝からずっと道後温泉近くで
聖火が来るのを待っていたそう。
ただすごい人だかりで、
また聖火ランナーの前後に
セキュリティーのためか、
一緒に走る人(伴走)がたくさんいて、
沿道では日の丸、五輪旗などを
振っていたりしたためよく見えなかったとか。
聖火がついたトーチは1つだったのですが、
万が一に備え、予備の聖火トーチと種火を
運んでいたんだそう。
(1964年は日本に入って4つに分灯。
4つのコースで聖火リレーが行われた。
その後、聖火は同時に複数の聖火が
ついていてはいけなくなったとのことです)
〇かなり年上の従兄弟が通っていた中学校。
その生徒の中から伴走者が選抜されたようです。
残念ながら従兄弟は選ばれませんでした。
選ばれた生徒たちは毎日、校庭で聖火リレーの
伴走の練習をしていたそう。
伴走車はみな同じ服装。胸に東京そして五輪が描かれた
ランニングシャツ、白い短パン、白のズック靴は、
今でも大切にとっているとのこと。
東京2020オリンピック聖火ランナー募集について
https://tokyo2020.org/jp/special/torch/olympic/torchbearer/
東京2020聖火リレー
https://tokyo2020.org/jp/games/torch/
vol.1 開会式そして日本中を走った聖火リレー
4つのコースに別れて聖火リレーは行われた
https://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/story/vol01_02.html
1964年の東京五輪以前から
住んでいる近所の人たちも、
聖火リレーを見学したようです。
事前に町内会の回覧板でルートと
詳細な日時が知らされたようです。
今でも記憶に残っているとのことで、
やはり記憶に残る出来事だったんですね。
多くの体験した人の話を聴いているうちに、
やはり自分もこの目で見たくなりました。
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