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針供養の思い出。

今朝、2020年2月8日。
今朝、ニュースを見ていたら、
大阪天満宮の針供養を取り上げていました。

大阪天満宮
https://osakatemmangu.or.jp/

《大阪天満宮で針供養 02月08日 11時26分》
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200208/2000025125.html

ニュースにあるように、
大阪天満宮には、
《奈良時代に刺しゅうや裁縫の技術を日本に伝えた
とされる遣唐使の吉備真備がまつられている》ので、
針供養が行われているんですね。

《和服を仕立てる和裁士や服飾を学ぶ生徒など
およそ1500人が参加》とあります。

これを見て、小さい時のことを思い出しました。

昔は、どこの家でも針仕事をしていて、
この針供養というのを行っていましたね。

大阪天満宮ではこんにゃくに針を刺しているようですが、
自分が覚えているのは、豆腐ですね。

家の斜め前に、和服の仕立てをしている
おばさんがいました。

我が家はここで仕立ててもらっていました。

小さい時に病気をした時の写真が残っていますが、
いまどきのようにパジャマではなく、浴衣のような
ものを着て映っています。

同級生の中では、半分くらいがパジャマではなく、
こうした浴衣でしたね。(冬だと、その上に
綿入れ、ちゃんちゃんこなどを着ていた)

その和裁士さんのお宅では、仕事仲間や、
近所を招いて、針供養をかなり盛大に
行っていました。

自分もそこに参加し、
ごちそうを頂いた記憶があります。

大阪の祖母の家では、確か針供養は、
2月8日ではなく、師走の12月8日だったと
思うのですが、今は、大阪でも、
2月に行われているみたいですね。

そうそう、この針供養の日は、一年で折れたり、
曲がったりした針を納めるのですが、
家では、針が折れたり曲がったりしたら、
母親は小さなブリキ缶にいれていましたね。

母親は、そのまま入れていましたが、
祖母は、箱に入れるときにおまじないのような
言葉を唱えてから入れていたのですが、
今となってはその文句を思い出せません。

また針は非常に大切な道具である一方、
無くしたり、放置すると危険なもの
でもあるので、扱いがかなりうるさかったですね。

針仕事が終わって、裁縫箱にしまう時には、
必ず針の数を確認していましたね。

そうそう、針を無くしたり、
見当たらなかったりするときに、
唱えるおまじない、呪文もありましたね。
(針だけではなく、失せ物探しの場合すべて。
「清水の音羽の滝は尽きるとも
失せたる針の出でぬ事なし」。)

わが家では、針供養も
こうしたおまじないも、
やらなくなってしまいましたが、
思い出すだけでも、心がほっこりする
古き良き思い出ですね。



関連エントリー
失せもの探しのおまじない。探し物の聖人アントニオ。



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