俳優・奈良岡朋子さん、亡くなる。思い出、津軽弁、太宰治の「雀こ」。
俳優の奈良岡朋子さんが亡くなられました。
奈良岡さんが代表を務める劇団民藝が公式HPで発表。
https://www.gekidanmingei.co.jp/
肺炎のため都内の病院で亡くなったとのことです。
93歳。
最晩年までずっと仕事を続けられ、
お元気で年齢を感じさせない方でしたね。
奈良岡さんと言えば、俳優の石原裕次郎さん、
歌手の美空ひばりさんとの交友が
よく知られています。
この度、奈良岡さんが、生前、亡くなった後に
公開するためのコメントも公にされています。
それには、
「裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます」と
つづられていたようです。
奈良岡さんには、もうかなり前になりますけれど、
何度かお会いいしたことがあります。
その際に美空ひばりさんとのプライベートなつきあいも
伺ったのですが、中心となったのは、青森での暮らしぶりと
津軽弁、さらに太宰治のことでした。
奈良岡朋子さんは、劇団民藝のサイトでも
東京出身となっていますが、
https://www.gekidanmingei.co.jp/member/profile/naraokatomoko/
東京府立第一高等女学校在学中の1945年に、
お父様である洋画家の奈良岡正夫氏の
故郷である青森県弘前市へ疎開され、
青森県立弘前中央高等学校を卒業されているんですね。
なので、弘前の言葉(津軽弁)を使いこなされ、
さらに弘前にいらした頃に、同所出身の作家太宰治も
見かけたことがあると、彼の思い出についてもお話して
下さいました。
普段は、東京弁というか標準語で
話されているのですが、
すぐに津軽弁に切り替えることも可能。
目の前でお話して下さったのですが、
それは見事でした。
(別の機会に弘前出身の作家の方と対談された折、
「奈良岡さんの弘前弁は完璧だ」とおっしゃっていました)
太宰治が津軽弁で残した作品に「雀こ」があります。
《雀こ 井伏鱒二へ。津軽の言葉で。 太宰治》
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2274_19979.html
それを朗読して頂いたのですが、
一語たりともつまったり、間違えることもなく、
音楽のような見事な調子で読んで頂き、
とても感動したのを今でもよく覚えています。
歌舞伎の世界では、「一声、二振、三姿」という
表現がありますけれど、
奈良岡さんの声は深く吸い込まれるようで、
一気にその世界に引き込まれました。
声の高さ、調子、リズム。
名優の朗読というのは、ここまで
人の感情を動かすものかと驚かされました。
それも目の前で生で聞けたのですから、
感動は一層でした。
舞台、テレビドラマでの演技も忘れないのですが
この朗読を聞けたことは、人生の宝物の一つですね。
奈良岡さんは、とてもサバサバした性格で、
飲んで食べて、お話をするのが大好き。
なので先輩はもちろん、後輩にも慕われていたそう。
少しお話しただけでそれはこちらにもわかりました。
ご自身がメッセージに書かれた通り、
あちらの世界に旅だった奈良岡さん。
先輩たちとお芝居をして、
お友達と思いっきり遊んでください。
ご冥福をお祈りいたします。
追記 2023年3月30日
〇新聞各紙に奈良岡朋子さんの訃報、
追悼文が掲載されています。
東京新聞「筆洗」
《十八歳で劇団民芸の養成所に入った時、宇野重吉さんに
「おまえはお嫁に行っちゃいかん」と言われたそうだ。
内心、腹を立てていた奈良岡さんに宇野さんはこう言った。
「一声、二振り、三姿。嫁に行くとぬかみそ声になるんだよ」》
その後、筆洗の筆者は、《なるほど、そのお声は奈良岡さんの
役者としての宝だった》と記しています。
〇東京新聞 2023年3月30日
元本紙記者・安田信博さんの評伝が素晴らしい。
宇野重吉さんの厳しい演出の試練を受けた
「イルクーツク物語」。
お父様の奈良岡正夫さんの教えなど具体的なエピソードを
ちりばめ、奈良岡朋子さんの人となり、俳優としての功績を
記しています。
《新劇を代表する演技派が肝に銘じていたのは、父親のこの
教えだった。「いい役者になったって自分で満足したときには、
もうおまえの芝居は下り坂だ」》
発刊は2004年と古いですが、舞台を見続けた
ノンフィクション作家の関容子さんが、
日本を代表する舞台女優をインタビュー。
それをもとにまとめています。
長岡輝子、加藤治子、岸田今日子、吉行和子、佐藤オリエ、
三田和代、冨士真奈美、渡辺えり子、波乃久里子、富司純子、
そして奈良岡朋子。
〇追記 2023年4月2日
3月31日の余録。
《新聞で「悲しい酒」を好きな曲にあげたことを機に
美空ひばりさんと交流を深めた。ブランデー持参で自宅を
訪れたひばりさんから「姉貴として付き合ってほしい」と頼まれた。
その後は本名で「和枝さん」と呼んだ》
この後は、初共演をした時に兄嫁を演じたことから、
お姉さんと呼ばれた石原裕次郎さん、
さらに母娘として何度も共演した縁から、
「おっかさん」として結婚の保証人となった
吉永小百合さんとのエピソードが記されています。
https://mainichi.jp/articles/20230331/ddm/001/070/105000c
奈良岡さんが代表を務める劇団民藝が公式HPで発表。
https://www.gekidanmingei.co.jp/
肺炎のため都内の病院で亡くなったとのことです。
93歳。
最晩年までずっと仕事を続けられ、
お元気で年齢を感じさせない方でしたね。
奈良岡さんと言えば、俳優の石原裕次郎さん、
歌手の美空ひばりさんとの交友が
よく知られています。
この度、奈良岡さんが、生前、亡くなった後に
公開するためのコメントも公にされています。
それには、
「裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます」と
つづられていたようです。
奈良岡さんには、もうかなり前になりますけれど、
何度かお会いいしたことがあります。
その際に美空ひばりさんとのプライベートなつきあいも
伺ったのですが、中心となったのは、青森での暮らしぶりと
津軽弁、さらに太宰治のことでした。
奈良岡朋子さんは、劇団民藝のサイトでも
東京出身となっていますが、
https://www.gekidanmingei.co.jp/member/profile/naraokatomoko/
東京府立第一高等女学校在学中の1945年に、
お父様である洋画家の奈良岡正夫氏の
故郷である青森県弘前市へ疎開され、
青森県立弘前中央高等学校を卒業されているんですね。
なので、弘前の言葉(津軽弁)を使いこなされ、
さらに弘前にいらした頃に、同所出身の作家太宰治も
見かけたことがあると、彼の思い出についてもお話して
下さいました。
普段は、東京弁というか標準語で
話されているのですが、
すぐに津軽弁に切り替えることも可能。
目の前でお話して下さったのですが、
それは見事でした。
(別の機会に弘前出身の作家の方と対談された折、
「奈良岡さんの弘前弁は完璧だ」とおっしゃっていました)
太宰治が津軽弁で残した作品に「雀こ」があります。
《雀こ 井伏鱒二へ。津軽の言葉で。 太宰治》
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2274_19979.html
それを朗読して頂いたのですが、
一語たりともつまったり、間違えることもなく、
音楽のような見事な調子で読んで頂き、
とても感動したのを今でもよく覚えています。
歌舞伎の世界では、「一声、二振、三姿」という
表現がありますけれど、
奈良岡さんの声は深く吸い込まれるようで、
一気にその世界に引き込まれました。
声の高さ、調子、リズム。
名優の朗読というのは、ここまで
人の感情を動かすものかと驚かされました。
それも目の前で生で聞けたのですから、
感動は一層でした。
舞台、テレビドラマでの演技も忘れないのですが
この朗読を聞けたことは、人生の宝物の一つですね。
奈良岡さんは、とてもサバサバした性格で、
飲んで食べて、お話をするのが大好き。
なので先輩はもちろん、後輩にも慕われていたそう。
少しお話しただけでそれはこちらにもわかりました。
ご自身がメッセージに書かれた通り、
あちらの世界に旅だった奈良岡さん。
先輩たちとお芝居をして、
お友達と思いっきり遊んでください。
ご冥福をお祈りいたします。
追記 2023年3月30日
〇新聞各紙に奈良岡朋子さんの訃報、
追悼文が掲載されています。
東京新聞「筆洗」
《十八歳で劇団民芸の養成所に入った時、宇野重吉さんに
「おまえはお嫁に行っちゃいかん」と言われたそうだ。
内心、腹を立てていた奈良岡さんに宇野さんはこう言った。
「一声、二振り、三姿。嫁に行くとぬかみそ声になるんだよ」》
その後、筆洗の筆者は、《なるほど、そのお声は奈良岡さんの
役者としての宝だった》と記しています。
〇東京新聞 2023年3月30日
元本紙記者・安田信博さんの評伝が素晴らしい。
宇野重吉さんの厳しい演出の試練を受けた
「イルクーツク物語」。
お父様の奈良岡正夫さんの教えなど具体的なエピソードを
ちりばめ、奈良岡朋子さんの人となり、俳優としての功績を
記しています。
《新劇を代表する演技派が肝に銘じていたのは、父親のこの
教えだった。「いい役者になったって自分で満足したときには、
もうおまえの芝居は下り坂だ」》
発刊は2004年と古いですが、舞台を見続けた
ノンフィクション作家の関容子さんが、
日本を代表する舞台女優をインタビュー。
それをもとにまとめています。
長岡輝子、加藤治子、岸田今日子、吉行和子、佐藤オリエ、
三田和代、冨士真奈美、渡辺えり子、波乃久里子、富司純子、
そして奈良岡朋子。
〇追記 2023年4月2日
3月31日の余録。
《新聞で「悲しい酒」を好きな曲にあげたことを機に
美空ひばりさんと交流を深めた。ブランデー持参で自宅を
訪れたひばりさんから「姉貴として付き合ってほしい」と頼まれた。
その後は本名で「和枝さん」と呼んだ》
この後は、初共演をした時に兄嫁を演じたことから、
お姉さんと呼ばれた石原裕次郎さん、
さらに母娘として何度も共演した縁から、
「おっかさん」として結婚の保証人となった
吉永小百合さんとのエピソードが記されています。
https://mainichi.jp/articles/20230331/ddm/001/070/105000c
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