2011年4月24日、たまたまBSフジを見ていたら、
作詞家の喜多條忠さんがインタビューに答えていました。
「あの時、この曲」という番組。
4月17日に放送したものの再々放送のよう。
番組タイトルからわかる通り、時代を彩った大ヒット曲をとりあげ、
どのように生まれたのか、作詞家、作曲家に聞くという番組。
喜多條忠さんと言えば、かぐや姫に書いた、
「神田川」「赤ちょうちん」「妹」が
良く知られています。
自分にとっては、はじめアグネス・チャンが歌っていた
「ハロー・グッドバイ」が印象的かなー。(これも名曲)
今回、数多くのヒット曲を手がけた喜多條さんが
その秘話を語っていたのは、
梓みちよさんの「メランコリー」。
この曲は、それまでフォーク、ニューミュージックの詞を
提供していた喜多條さんが、歌謡曲に挑んだ作品。
作曲担当の吉田拓郎さんから、挑発を受けて、
苦労して書き上げた曲なのだそうです。
どこに苦労したのか?
「お前には書けない」というくらいに言われた後、
すぐに一番は出てきたのだとか。
この一番の冒頭の歌詞は良く覚えています。
皆さんは、ご存じですか?
「緑のインクで手紙を書けば
それはサヨナラの合図になると誰かが言っていた」。
この曲がヒットして、
多くの人に良く知られるようになったエピソードです。
絵と物語が想像できる素晴らしい歌詞ですね。
喜多條さんは、非常に満足したようですが、二番が書けない。
先の「緑のインク」に負けないインパクトのある歌詞が出来ない。
1週間しても全然浮かばない。
もうダメだとあきらめかけた時、
当時、幼稚園に上がる前だった娘さんから、
「どこかに連れて行って」と頼まれたので、
公園に一緒に行ったのだそう。
そこに、九官鳥が入っているかごが、
20ほども並んでいたのだとか。
喜多條さんは、
「人間の言葉がしゃべれる九官鳥。かしこいね」
と娘さんに呼びかけたところ、
「かわいそうだね。鳥なのに人間の言葉をしゃべらされて」
との言葉が返ってきたそう。
これで、「はっ」として、二番の歌詞が生まれたんだそうです。
二番は、
「人の言葉がしゃべれる鳥が昔のひとの名前を呼んだ」
で始まります。
いやー、娘さんの発想、感性も素晴らしいけれど、
それに気付き、すくいあげて、詞にした喜多條さんも
さすがですね。
書き上げた歌詞を吉田拓郎さんに送ったところ、
乗っていた新幹線に電話がかかってきて、呼び出され、
「すごい詞を書いたな。
メロディーをつけたけれど、完全に歌詞に負けている」
と褒め、ねぎらわれ、涙を流したそうです。
このところ、キャンディーズの曲を聴いています。
「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」
「アン・ドゥ・トロワ」なども、
喜多條さんの作詞なんですね。
(「季節の別れ」という曲。スーちゃんの作詞だった……)
何か作りたいとずっと思い続けていると、
神様はプレゼントを与えてくれるものなんだなー
と感じました。
それには、作りたいと思い続けること、
それを受け取るアンテナを常に磨いておくこと
が大切なのかもしれません。
アンテナがさびついていると、
せっかくのプレゼントに
気付かないかもしれませんから。
それにしても、娘さんの
「可愛そう。鳥なのに人間の言葉をしゃべらされて」
という感性には、驚かされます。
そうした感受性は、
本来、誰にもあるものなのかもしれません。
多くの人は、年をとるにつれ、
摩耗させ、なくしてしまっているのでしょう。
いつまでも、みずみずしい感覚を保ち続けるためには、
どうしたらいいのでしょう。
そんなことを考えた、日曜の朝でした。
喜多條さんの小説。
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