日本将棋連盟会長の米長邦雄さんが亡くなりました。
もう随分目から前立腺がんを患い、
長い闘病生活を送られていたそうです。
その間も、棋士、会長として、将棋の普及のみならず、
東京都の教育委員も長くつとめるなど、広く活躍されていましたね。
中盤から終盤にかけて、粘り逆転を狙うところから、
泥沼流と言われました。
人柄は、「さわやか流」と言われ、
「兄貴は頭が悪いから東大に行った。
私は頭が良いから将棋指しになった」
など、数々の名言と明るさで、
弟子、棋界はもちろん、
多くの人から愛されました。
米永さんは、名人、棋聖など数多くのタイトルをとられています。
中でも7度目の挑戦で、49歳11ヶ月と、史上最年長で、
名人を獲得されたことは、
将棋ファンのみならず、広く世間、
特に中高年に勇気を与えました。
「中高年の星」なんて言われました。
米永さんは、1985年には、
史上三人目の棋聖、十段、王将、棋王の
四冠を獲得しています。
しかし名人がとれない。
それを達成するため、1990年代には、
すでに第一人者であったにもかかわらず、
当時20代前半だった羽生善治、佐藤康光らの
若手棋士の元に通い、頭を下げて、新しい指し方を
指南してもらったといいます。
これは、できるようでなかなかできませんよね。
しかし本人は、悲願を達成するためには、
見栄も外聞もないと必死だったようです。
そうしたひたむきさが大切なんでしょうね。
これまでマスコミに登場することも多く、
ご本も数々出し、情報を発信されていましたが、
最近は、いち早くブログ、Twitterにも挑戦。
日々の思いを綴られていました。
11月25日には、「最後の時」とのタイトルで、
今の気持ちを書かれています。
米長邦雄の家
http://www.yonenaga.net/さわやか日記
http://8154.teacup.com/yonenaga/bbs《まじめな私》
《最後の時(2012.11.25)》
《最後の時(2)(2012.12.2)》
http://www.yonenaga.net/w_maji.htm《最近、自分はいつ、どのような形で人生を投了することになるのか
考えるようになりました。》
《痛みもなく苦しみもなく、寿命を全うできれば、
これが一番幸せではないかと思い至るようになりました。
悟りを開いた高僧になった訳ではありませんが、
「人生すべて感謝である」これが今の心境です》。
《この世には無駄なことは何もなく、ガンになったことすら感謝すべきである
と諭され、はっと氣づかされました》。
そんな中で気になる所も、
《次いで、俗人の生前指示についても書いておきたい。相続、告別式の手配等です。
全てが感謝といっても、やっぱり俗人ゆえに葬式に来てもらいたくないという人間がいます》。
全てを達観した訳ではないよう。
今後、さらに様々なことを書かれるおつもりだったようですが、
その後、12月6日のTwitterでの選挙に関する発言が、
最後の情報発信となってしまいました。
まだまだ様々なことを伺いたかったですね。