2018年04月29日 - 未分類 NHK 大河ドラマ「西郷どん」を見終わった母、突然、母の故郷岐阜県と薩摩藩、今の鹿児島県の話をし始めました。岐阜県と鹿児島県は姉妹県。あなたはご存じですか。これは、江戸時代のある出来事に 由来しています。それは、江戸時代中期の宝暦年間、薩摩義士が多数の犠牲と借財を出しながら、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水工事を行ったこと。宝暦治水事件とも呼ばれるもの。当時は荒れ川で大雨などで、氾濫が起き、水害が発生していた木曽三川。その三川の合流地点で分流工事、堤防建設を行い、水害を減らしたのが薩摩藩士たち。しかし過酷な工事と待遇から多くの犠牲を出し、相当な費用がかかりました。この工事の完成により水害が減ったため、地元の人たちは薩摩藩士の功績をたたえ、薩摩義士と呼び、治水神社を建立し、その冥福を祈り続けています。(海津市)治水神社は母の故郷・岐阜市内からはかなり下流にありますが、この薩摩義士の話は小さい頃、母は両親、祖父母などから聞いていたそう。しかしその後、明治維新があり、西郷どんが明治政府と争う西南戦争が起こります。そのとき、母の曾祖父の弟が、岐阜からその平定のために熊本、鹿児島に派遣されたのだそう。《薩摩義士が結ぶ交流の絆 - 鹿児島県》https://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/shimaitoshi/documents/11779_20120329221612-1.pdf岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約締結http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/ken-gaiyo/gifu-gaiyo/11103/meiyaku.htmlこの西南戦争は、西郷側の犠牲者も多かったのですが、明治政府側もかなりの痛手を被りました。幸いながら母の曾祖父の弟は無事、故郷に帰ってきたのですが、同郷から派遣されたものの中には、負傷したり、亡くなった人もいたとのこと。そして帰郷した曾祖父の弟は、「宝暦治水でお世話になった薩摩の人と戦うのは忍びなかった」と話していたと小さい頃、祖父母などから聞かされたとのこと。今年は明治維新150年。明治10年1877年の西南戦争から140年余りですけれど、遠いようで、案外、近い時代なのだなと感じました。《西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦 (中公新書)》(Amazon)