いいなと感じましたが、
今一つ、すっきりしない。
武田信玄作とされる言葉で、有名なものには、
武田節の中にも取り入れられた、
「人は城 人は石垣 人は堀. なさけは味方 あだは敵なり」。
江戸時代に武田信玄の功績をまとめた
「甲陽軍鑑」の中に、信玄の歌として紹介されています。
ただ確証はないようです。
さて、
《一生懸命だと、知恵が出る》の方は?
Googleで検索すると、いろいろなサイトが出てきます。
しかし、それらのすべては、あるサイトの記述が元のよう。
けれど、その元のサイトでは、この言葉が武田信玄の言葉
としか書かれておらず、根拠・出典が示されていません。
個人的に違和感をもったのは、「一生懸命」という言葉。
この言葉は、もともとは、「一所懸命」から出ています。。
「一所懸命」は、中世に主君からもらった一か所の領地を、
一族の生活基盤とし、そこに命をかけることを意味します。
「一所懸命」から「一生懸命」が出たのはいつ頃か?
武田信玄は、ご存じのように戦国時代の武将。
1521年生まれで、1573年没。
「一生懸命」という言葉、表現が一般的になったのは、
江戸時代からとされています。
「一所懸命」=「一所懸命の地(領地)」
鎌倉時代以降、武士間で用いられた言葉。
「日本国語大事典」を見ると、
もともとは、「一所の領地で,死活にかかわるほど重視した土地」のこと。
土地は、「元来は,自分の名字の由来する土地(本拠地)をさしたが,
のちには恩給地も含め,自分の所領地全部をいうこともあった」ようです。
「一か所の所領を,命にかけて生活の頼みとすること。」
→
「生死をかけるような,さし迫った事態」
→
「命がけ」に。
「一生懸命」になったのはなぜ?
「一所懸命」=「命がけ」として
使われるようになって、「一生懸命」となった。
「命をかける」=「一生をかける」に由来する言葉であると、
語源を俗解し、「一生」との表記になったのではと考えられている。
「一生懸命」は、江戸時代の浄瑠璃などに多く見られます。
また一生懸命には、引くに引けないせっぱ詰まった状況、瀬戸際
との意味があります。
この用法としては、歌舞伎の「夏祭浪花鑑」中に、
《「こりやもう九郎兵衛が―。舅どの勘忍さつしやれ/伎・夏祭」》や、
平賀源内の「風来六部集・放屁論」中に、「―の敵(かたき)を防ぐ」があります。
○鎌倉、室町時代は、「一所懸命」との表記。
読みは「いっしょけんめい」。
「古事談」(鎌倉)、「北条五代記」(室町)
○江戸時代初め、「一所懸命」と表記。
読みを「いっしょうけんめい」とした時代あり。
○江戸中期、後期。1700年代以降。
「一生懸命」(いっしょうけんめい)に。
どうも上の武田信玄の《一生懸命だと、知恵が出る》云々も、
後世、江戸時代に創作されたものの可能性が高そうですね。
そうであるとしても、愚痴、言い訳が出ないように、
何事も、中途半端、いい加減をやめ、
懸命にしないといけないですね。
逆にいうと、愚痴、言い訳が出ている間は、
まだまだいい加減で、中途半端。
一生懸命ではないのかもしれません。
2016年にNHKで放送した大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当、
戦国研究、中でも武田氏が専門の、平山優さん。
テレビの歴史番組によく出演されています。
武田氏に関しては、近年、研究が進んでいるようです。
2021年は武田信玄公500周年で、
甲府市などで、様々な催しが開かれました。
戦国最強の武将・武田信玄公。
地元のみならず、広く人気がありますね。
2021年9月に出版された
「武田三代――信虎・信玄・勝頼の史実に迫る」は、
山梨県立中央高等学校教諭の平山優さんが、
長年の研究成果をもとにした最新の内容の武田三代の通史。
上記したように「武田信玄公生誕500年」(11月3日)を
前に出版されたため、注目され、売れ行きも良いようです。
2022年3月24日、追記
〇今朝の朝日新聞、「リレーおぴにおん」
「逃げる」の6回目に平山優さん登場。
《アウトロー「忍び」に活路》。
戦国時代に活躍した忍者について述べられています。