2017年12月26日 - 未分類 先日、親戚から餅が送られてきました。岐阜高山の蓬餅、粟餅。岐阜市内出身の母は小さい頃に食べていた味だと懐かしそうに食べています。2017年12月26日午前中、今度は岐阜に住む義理の叔母さんから、 鮎の甘露煮と蓬餅、豆餅、そしてとち餅が届きました。今度のお餅は、義理の叔母さんの飛騨古川の実家から送られたもの。ちなみに母の姉の嫁ぎ先である下呂温泉近くの飛騨川支流で、従兄弟がとったものを、岐阜に住む義理の叔母さんが煮たものです。母は昼食後、早速、とち餅を焼いて、粒あんと一緒に食べていました。荷物の中に叔母さんからの手紙が入っていて、とち餅は、買ったものではなく、実家でついたものだそう。これには驚きました。蓬餅も手間がかかりますが、とち餅はさらに手間暇がかかるんです。橡の実は、縄文時代から食べられていた木の実。飛騨にも自生しています。けれどその橡の実はすぐには食べられないんです。とても強い灰汁を取り除かないといけないのです。このあく抜きがかなり大変です。収穫後保管しておいた橡の実を2~3日水に漬けます。そこから引き上げ、乾かした後、水から鍋で煮て、何度か水を替えて皮をむきます。川・用水路などの流水に1週間ほど漬けた後、今度は木灰と熱湯に漬けて、わらなどかけて保温しながら、1日以上おいておくなどの手順を行ないます。橡の実を拾ってから、使える状態にするまで、1ヶ月ほどかかるんだとか。飛騨古川では見たことないのですが、新潟と山形の県境の山奥の村に行ったときに、まさにこの橡の実のあく抜きの様子の一部を見学し、体験することができました。そこまで手間をかけても食べるのは、橡の実が美味しくて栄養豊富で、ふんだんにとれるから。逆に言うと、昔は米、小麦などの穀物が十分にとれなかったので、橡の実でそれを補ったという意味合いがあるそうです。江戸時代には屋根裏などに橡の実を蓄え、いざという時に備えていたんだとか。叔母さんの実家では、まだこうした手数をかけて、橡の実をあく抜きし、とち餅をついたり、橡の実茶などに加工しているそうです。自然の恵みをいただく。考えてみれば、これは今では最高の贅沢かもしれませんね。飛騨高山、下呂温泉などには「栃の実せんべい」が名物。この頃食べていませんが、とち餅と一緒に久しぶりに、食べたいなー。《栃と餅 食の民俗構造を探る》(Amazon)〇栃のみのあく抜き 「馬鹿手間」〇「栃を伐る馬鹿、植える馬鹿」。 栃の実は一度なると毎年大量の実が ずっととれる。栃の実は保存が効き、 いざという時に飢餓を救う。 そんな役に立つ栃の木を切り倒すのは 馬鹿のすること。 だが栃の実は植えてすぐにはならず、 2~3世代(30~50年、さらに長くかかる場合も あるという)たってようやくとれる。 だからすぐには、ならないものを 植えて待つのは、馬鹿と言われた。〇とち餅は数日たっても固くならない 栃の実に含まれている灰汁、渋のせいで、 固くなりにくい。このためマタギが猟に 行くときの食として持ち歩いたそう。〇飛騨には「さざなみ餅」という餅も。 これは細く切った塩吹昆布の商品名 「さざなみ」を入れたもの。 (香川県小豆島産。なぜか富山、岐阜などで 広く売られ、使われている)