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栴檀(せんだん)と南縁草(難莚草なんえんそう)。落語「百年目」。

2012年8月23日、読売新聞の編集手帳で、
落語「百年目」から、栴檀と南縁草のくだりが、
取り上げられていました。

あなたは、ご存じでしょうか?

芸者遊びを見つかった大店の番頭に、
旦那(主人)が、旦那という言葉の由来が、
栴檀と南縁草の関係であったと説くのです。
主人は、一軒の主を旦那という訳は、
天竺(てんじく)の赤栴檀と南縁草
(難延草なんえんそう)の関係から来たと。

素晴らしい赤栴檀の根元に、南縁草という
汚い草が生えていた。これを見て、この草を
取り去れば、より赤栴檀が、引き立つに
違い無いと思い、そうしたところ、一晩の
うちに赤栴檀が枯れてしまった。

調べて見ると、栴檀は南縁草を肥やしにし、
南縁草は栴檀からの露で育っていた事が
分かったのでした。

栴檀が育つと、南縁草も育つ。
持ちつ持たれつ。

栴檀の「だん」と南縁草の「なん」を
取って「だんなん」。そこから、
「旦那」になったというのです。

大店の主人は、番頭に、自分とお前も、
栴檀と南縁草だ。自分も露を、お前に下して
いる。またお前も私を養ってくれている。
そして店では、今度はお前が栴檀で、
店の者が南縁草だと。店の南縁草にも
少し露を降ろしてやってくれと。

一般に、旦那=檀那は、仏教から来た言葉で、
サンスクリット語のダーナの音写と。
(梵 dāna-pati 檀那波底の略〕
ダーナは「与える」、「贈る」という意味で、
「布施」とも漢訳されています。

そこから、中国・日本では寺院、僧侶に
布施・寄進する施主、仏教の後援者
という意味で用いられています。

それはそれとして、この落語の説明は、
語源的には、間違いなんでしょうが、
なんだかいいですね。

無駄、不必要、いやむしろ害になっている
と思われる存在が、実は、光輝く存在の
支えとなっている。

「世の中に無駄な存在は何もないのだ」
ともとらえられますね。

自分にとって、「栴檀と南縁草」にあたる
関係の人は、誰なのか?
そんな事も考えました。

あなたにとっての栴檀、南縁草は?





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