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「宝を天に積め」。銭形平次の作者・野村胡堂。ヘンデル作曲「メサイア」。

自分も氏子の一人であるのですが、
秋葉原のお隣に、神田明神があります。

その境内に、「銭形平次」の記念碑が建っています。
実在の人物ではなく、架空の物語の主人公の碑です。
作者は、野村胡堂。

その野村胡堂は、新渡戸稲造の
弟子でもあるクリスチャンです。
彼の人生の指針は、
「宝を天に積め」だったそうです。
これは、聖書のマタイ伝の第六章の一節。

Store Up Treasures in Heaven
《汝(なんじ)ら、己が為に、宝を地に積むな。
 蟲(むし)と錆(さび)が損ない、
 盗人(ぬすびと)うがちて盗むなり。
 汝ら、己が為に、宝を天に積め。
 蟲(むし)と錆(さび)が損なわず、
 盗人(ぬすびと)うがちて盗まぬなり。
 汝の宝のある所には、汝の心もあるべし。》

野村胡堂氏の元に、現在のソニー、
当時は東京通信工業の創業者である
井深大氏と盛田昭夫氏が、
金策のためやってきました。

当時、日本橋の白木屋のビルに
会社があったのですが、
そこを追い出されることになりました。

探したところ、品川の御殿山に
土地が見つかります。
しかし代金が5万円。
その工面ができないので、
融資を頼みに来たのです。

野村胡堂は、4万円、出したのだとか。
その場所に移り、以降、数々のヒット商品を出し、
社名もソニーとなり、会社はどんどん成長します。

そこで、二人は、野村胡堂に借りた金を返そうと、
野村邸を訪れます。

胡堂は、自分は金貸しでないので、
その金は受け取らないと断ったそう。
そのため、二人は、お金ではなく、
自社株(ソニー株)にしました。

けれども、胡堂氏はそれも受け取らなかった。
その株が、後に1億円ほどの価値になったといいます。

野村胡堂が、亡くなる前、その株の1億円を元に、
奨学金を出す財団を設立します。
金に困って進学、学問が出来ない若者に
使ってもらうためです。
貸与ではなく、給与。

これは、胡堂氏自身が、家庭の経済的問題で
学業をあきらめなければならなかった体験が
あったからと言われています。

胡堂の奥さんは、上代タノという方。
ある時、奥さんの元に、日本女子大の学長が、
図書館建設の募金集めのため、夫人にソニーを
紹介してくれるよう頼みにきたのです。

募金の目標金額が一億五千万円と聞いた夫人は、
その場で、5000万円の小切手を書き渡したそうです。

この夫妻の人生の指針が、
「天に宝を積む」、そして
「右手のことを左手に知らせるな 」。

まさにこの金言を生涯、貫いたご夫妻でした。

以下に野村胡堂の話が出てきます。
《宝を天に積む
秋の特別礼拝説教箴言3章13~21節
ルカによる福音書12章13~21節
2006年10月22日太 田 愛 人 先生》
http://www.km-church.or.jp/preach/preach_061022.html

野村胡堂あらえびす記念館、野村学芸財団
http://kodo.or.tv/kodo/index5.html

《第49回文化サロン 平成21年1月15日
「野村胡堂 ― その魅力と生涯を語る」ゲストスピーカー 野村晴一氏
(野村胡堂・あらえびす記念館館長)》
http://isnhp.web.infoseek.co.jp/bunkasalon/49kai.htm

《2009年8月24日
「ベンチャー企業の生成と発展」
第2回『会社設立-ソニー創業と井深大の精神に学ぶ-』(前編)》
http://www.fromhc.com/column/2009/08/2.html

野村胡堂さんは、「あらえびす」というペンネームで、
クラシック音楽の評論も手がけていました。

彼の好きな音楽家の一人がヘンデル。
ヘンデルは、ドイツ生まれで、
イタリア、そして後半生はイギリスで
活躍し、名声と富を得ます。

けれど、晩年は病気に苦しむことになります。

それにもかかわらず、ヘンデルは、財産を、
貧しい人たちを助ける慈善活動にあて、
すべてを使い切り、生涯を終えるのです。

ヘンデルが1741年に作曲した「メサイア」。
クリスマスに演奏されることも多い名曲です。

オペラの失敗での困窮、脳出血で身体の自由を
奪われたヘンデルが、「メサイア」の歌詞に出会い、
心打たれ、わずか24日間で、書き上げたと言われています。

最初に演奏されたのは、1742年4月13日。
アイルランド・ダブリンでの慈善事業
(病院の救済、囚人の待遇改善)の
ための公開演奏会でのことでした。

これをきっかけとして、この曲は、
ヘンデル自らの指揮で、慈善事業演奏会で演奏され、
ヘンデルが亡くなるまで続けられます。

1753年にヘンデルは失明しますが、その後も、
オルガンを弾きながら、指揮し続けます。
1759年4月6日、「メサイア」の演奏・指揮中に
意識を失い、4月14日、生涯を閉じたのでした。

なお、 「メサイア」第2部の最後は、
これまた有名な「ハレルヤ」コーラス。

ヘンデル自身「ハレルヤ・コーラス」を書き上げた時、
「天が開け、神の御姿を仰ぎ見た」と叫んだ
と伝えられているほど、素晴らしいパートです。

1743年のロンドン初演の際に、臨席していた
ジョージ2世は、この部分を聞き、感動し、
キリストをあがめるため、立ち上がって、
拍手してしまいました。
このため、他の聴衆もそれにならっって、
立ち上がり、拍手することに。

その慣習が、今でも続き、ハレルヤ・コーラスの所では、
立ち上がり、拍手を送ることとなっています。
(なおこれが、スタンディングオベーションの起源とも)

野村胡堂氏も、晩年は、眼の病に苦しみ、
それが元で筆を折ることになりますが、
ヘンデルと同様に、冨を多くの人に還元し、
亡くなられたのでした。

《捨子養育院における芸術と慈善
岩 佐   愛
──ヘンデルの〈メサイア〉慈善演奏会の背景》
http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/archive/data/j4103_4-14/for_print.pdf

クリスマスイブの日に、「メサイア」を聞き、
野村胡堂、ヘンデルのこの話を思い出しました。

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