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アントニオ猪木さんと三遊亭円楽さんの死去。スペアリブとあんパン、うなぎ。

アントニオ猪木さん。
そして三遊亭円楽さんが亡くなりました。

どちらもテレビでご活躍をずっと
見てきた方々なので、喪失感があります。

お二方とは、それぞれほんの
ちょっとした接点があります。

アントニオ猪木さんは、
実業家の面ももっていらして、
タバスコの輸入を手がけられたそう。
(ご自身の会社か関係者か不明だが)

六本木の取引先に毎週2度ほど通っていた頃、
そこの人から食事に誘われ、行ったのが、
スペアリブのお店でした。

取引先から、こちらはアントニオ猪木さんの店で、
テーブルの上に置いてあるタバスコも、猪木さんの
会社が輸入の代理店契約をしていると教えてもらいました。

美味しくいただいて、さてそろそろと帰ろうか
という時、何やら外が騒がしい。
そしてすぐに大勢の体格のいい男性がはいってきました。
一番後にきたのが、アントニオ猪木さん。

テレビで見ていた以上に、大きな方というイメージでした。
(周囲のレスラーと思われる男たちより体格じたいは小さいのだが)

そして店内を回り、客に挨拶。
来店のお礼のようです。
われわれのテーブルにも回ってきて、
声をかけてもらいました。
思わず手を出したら、ぎゅっと握って握手。
まだビンタはしていなかった頃ですね。

その手の厚み、大きさにも驚かされました。

たったこれだけの直接の出会いですけれど、
今でもしっかりと記憶に残っています。

これがカリスマ性を持っている
ということなのかもしれません。

三遊亭円楽さんは、テレビとともに、
生の高座を何度も拝見したことがあります。

わが家は、両国橋の西詰なのですが、
三遊亭円楽さんは、渡った墨田区のご出身。

両国中学の出身で、両国の知人の中には、
同級生や後輩が大勢いました。
(新聞、ネットでは両国生まれ
となっているが、ご本人は「両国育ち」と話していた)
オフィスまめかな、プロフィール
昭和25年 (1950) 2月 8日 東京・両国育ち
https://www.mamekana.co.jp/profile/enraku.html

また一門会がお江戸両国亭で開かれていましたので、
そこにも何度も訪れ、親しみを覚えていました。

また円楽さんがお好きだったあんパン、うなぎ。
そのパン屋さん(東砂、ナカヤパン)、
ウナギ屋さん(東陽町、うなよし)は、
知人が近く(東陽町)に住んでいるので、
行って買い求めたり、食べたりしたこともあります。

オトコの別腹
《「ナカヤ」のあんぱん 三遊亭円楽さん(落語家)2011年11月18日》
http://www.asahi.com/food/column/betsubara/OSK201111170033.html



知人、お店の人はもちろん、そうしたプライベートの
円楽さんとふれあっているのですが、肩肘張らず、
とても気さくな方で、気軽に声をかけらる人だったとか。

あの腹黒キャラは、
テレビのためのものだったんですね。

落語家さらにプロデューサー的な一面をもち、
様々な落語のイベントも企画されていました。

切れのある毒舌、わかりやすい落語が
聞けないのは、とても寂しいですね。

お二人のご冥福をお祈りいたします。

お父様の故郷は島根県隠岐。
2023年1月21日に息子さん一太郎さんとの
落語会を計画していたそう。
《私と島根 父の島―隠岐》
http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/kochokoho/esque/41/menu03.html



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