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裏千家の茶室「今日庵(こんにちあん)」の由来。今日、今を生きぬく。

2011年3月10日、読売新聞夕刊、「よみうり寸評」。

裏千家の茶室「今日庵」の名前の由来となったとされる
千利休の孫・宗旦の歌を紹介していました。
《千利休の孫で茶人の宗旦(そうたん)は、命のはかなさを歌に詠んだ
◆〈今日今日と/
  言いてその日を/
  暮らしぬる/
  明日のいのちはとにもかくにも〉。
明日の命も不確かな世だから悔いなく生きよ、と説く。
裏千家の茶室「今日庵」の由来の一つとされる》

母は、若い頃、花嫁修業の一つとして、
裏千家の茶道をかなり長い間、習っていたよう。

現在の実家は、自分が小学校4年生の時に建て替えました。
建て替え前は、二つに分かれていて、西側の家は、
小屋というほどの狭さだったのですが、茶室がありました。
そこで、小さい時に何度か、お茶を点てて、
もらった思い出があります。

またこれは、少し大きくなってからですが、
茶道について、何度か逸話を教えてもらいました。

裏千家をも意味する「今日庵」の由来もその一つ。
有名な逸話があったのだそう。

宗旦は、「不審菴」を三男の江岑宗左に譲り、
隠居所を建てました。

それが、茶室「今日庵」。

建てた後、お披露目する席開きの日、禅の師である大徳寺の
清巌和尚を招いたところ、師は用事ができ、約束の刻限に遅れたそうです。

一方で、待っている宗旦にも急用が出来、外出せねばならないことに。
そこで家人に「和尚がいらしたら、明日、いらしていただくように伝えよ」
と言い残して、出かけたのだとか。

遅れてきた清巌和尚は、伝言を聞いた後、茶室の腰張り板に
「懈怠比丘不期明日」(懈怠の比丘、明日を期せず。
怠け者の僧の私のことですから、明日のことなど約束できないので、
今日来たのに)
と書き付けて、帰ってしまいます。

帰宅後、それを見た宗旦は、自分の態度を恥じ、お詫びに、
「よみうり寸評」に引かれた一首を献じて、詫びたといいます。

母が教えてくれた上の言伝えとは別のものもあるようです。

清巌和尚が障子紙に「懈怠比丘不期明日」
と書き残しました。
帰宅した宗旦が、それを見て、「懈逅比丘不期明日」
(たまたま出くわす僧では当てにならない、今日会いたかった))
と書いて返したと。

(この後、再び和尚を招いた茶席で、冒頭の一首を披露というものも)

不審庵と今日庵は、大徳寺古渓和尚が利休に贈った偈
「不審花開今日春(不審 花開く 今日の春)」
に由来するという説もあります。

「不審菴」について。(表千家を意味します)
http://www.omotesenke.com/01.html
《茶の湯の流儀化》
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/2_1_6.html
裏千家
http://www.urasenke.or.jp/
裏千家 「今日庵」
http://www.urasenke.or.jp/textc/chashitu/kon.html

どの説が正しいかはともかくも、「今日庵」
という名にこめられている意味は、
明日はもとより一寸先もわからぬこの世、
今日、この一瞬が大切である、
それはまた「一期一会」の精神にも通じている
そう考えたい気がします。

関連エントリー
全力で今を楽しめ (「carpe diemカルペ・ディエム」, seize the day)。東北地方太平洋沖地震を体験して。
今日一日の事。安田善次郎のことば。


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