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映画「ペンギン夫婦の作りかた」。石垣島で食べるラー油を作り出した夫婦がモデル。

「食べるラー油」。

あなたのお宅にはありますか?

今は、すっかり落ち着いていますが、
かつて、大手メーカーの製品を中心に、
入手困難な時がありましたね。

「食べるラー油」ブームのきっかけは、おそらく、
石垣島の辺銀食堂の石垣島ラー油。
http://www.flagship-okinawa.jp/products/food/pengin.html
辺銀食堂
http://penshoku.com/

別のブログですが、紹介したことがあります。
作り出した夫婦をモデルとした物語が、
映画となり、10月20日から公開されています。

映画「ペンギン夫婦の作り方」
http://www.penguinfufu.jp/

モデルとなったのは、
東京でフリーライターをしていた愛理さんと、
中国西安出身のカメラマンの暁峰さんのお二人。
(映画での役名は歩美と、ギュウコウ)

映画では、二人は、国際結婚した後、
夫の会社が倒産。

夫を慰めるため歩美さんは、石垣島に一緒に旅行。
その自然と地元の人々の温かさにひかれて、移住し、
やがて、ペンギン食堂を開き、ラー油作りを始める……
というストーリになっているようです。

実際の辺銀暁峰さんは、監督チャン・イーモウ氏のもとで
スチールカメラマンを務めた後、来日。
1993 年、仕事で知り合った雑誌編集者の愛理さんと結婚し、
和紙作りをしたいという、愛理さんとともに、1999 年に石垣島へ移住。

「石垣島ラー油(石ラー)」を初めて作ったのは、1999年。
もともと結婚当初、趣味で自家製ラー油を作っていたそう。
それに、愛理さんが出張先の香港で入手したレシピを
組み合わせたものが原型となっているのだそう。

辺銀食堂のは、辺銀はお二人の名字。
お二人とも南極にまで見るために旅行したほど、
ペンギンが好きなところから、帰化申請の際に、
辺銀という名字にしたのだそう。

暁峰のもともとの名字は、崔。
しかし帰化でつける名字には使えない漢字のため、
新たな名字にせざるを得ず、先祖の商売などを考え、
(モンゴルとの辺境で銀を扱っていた)辺銀としたようですが、
この辺りを映画ではしっかりと描いているとのこと。

できるだけ石垣島の素材を使って、
(現在は、白ゴマ、ニンニク、植物油が島外産。
山椒は暁峰さんの故郷・西安産。それ以外はすべて、
八重山で獲れたなるべく無農薬のもの)
石垣島ラー油を作り上げますが、勧められて出店したイベントでは、
50個中2個しか売れなかったよう。

売れなかった48個を友人、知人に配ったところ、
その良さが口コミで広がり、マスコミ、沖縄県のアンテナショップの
「わしたショップ」の担当者などに広まり、そこから爆発的にブームとなり、
手に入れるのに1年待ちも当たり前
という幻の存在となりました。

何があるかわからないものですね。
でもこれも二人の真剣な姿勢が呼び込んだものでしょうね。

ブームになった時にも、二人は大量生産に走ることはありませんでした。
真面目に一つずつ手作りして、本当に美味しいものを届けたい
という二人の考えから、一時、食堂の営業を休んだこともあったようです。

出会いから石垣島ラー油作り、辺銀食堂の経営などについて、
愛理さんは、一冊の本にまとめ、
またお二人それぞれが、料理本を出してもいます。

二人の愛情や、地元の人の優しさが
感じられる内容となっています。

映画の仕上がりも楽しみですね。

ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし》(Amazon)

石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん》(Amazon)

ペンギンごはんとおいしい石ラー仲間》(Amazon)

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