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学徒出陣の演劇。上空を旋回した後、B29に体当たりした伯母の恋人。

2013年8月11日、7時からのNHKニュースを、
夕食をとりながら、母と見ていました。

その中で、学徒出陣の学生と、
地元の人たちの交流を演劇にして
伝えようとのニュースがありました。

実話に基づいているということで、
今もお元気なモデルの女性のもとを、
劇に出演する学生が訪問し、
当時のエピソード、気持ちを聞いていました。
(学徒出陣の学生と地元の家庭との交流。
その家庭の長女との恋。特攻隊に。しかし帰ってきて結婚……)

(NHKのニュースのサイトには出ていません。
明日、名古屋放送局で詳しく伝える模様)
「ほっとイーブニング」
8月12日放送。《【学徒出陣を語り継ぐ】》
http://www.nhk.or.jp/nagoya/hot/
毎日新聞、
《戦争体験:創作劇で伝える 河和海軍航空隊、題材に 半田で11日上演 /愛知
毎日新聞 2013年08月08日 地方版》
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20130808ddlk23040196000c.html
《創作劇「青春の碑 ああ河和海軍航空隊」》
《学徒出陣で河和海軍航空隊に配属され、
特攻を志願した飛行兵とある家庭との触れ合い、恋を描く。》

そのニュースを見ていて、
母が驚くべきことを語り始めました。

母の姉。(現在、91歳)
女学校を出た後、タイピストとして、
17~8歳で済南(中国山東省の省都)で、
働いていたのだそう。

その後、戦争が激しくなり、岐阜の実家に帰ってきて、
やはり働いていたとのこと。

その当時、おつきあいしていた男性が、飛行機乗り。
終戦の年、名古屋にもB29の空襲が来るようになっていたそう。

あるとき、飛行機が岐阜の母たちの実家の上を
何度か旋回して、名古屋の方に行ったとのこと。

家族で、
「あんな低い所を飛ぶなんて」と不思議に思っていたそう。

後から、それは、伯母のつきあっていた男性が乗った飛行機で、
岐阜で旋回した後、B29に体当たりして戦死したとのこと。

その後、伯母さんは、別の人と結婚し、
子どもも出来て、今に至るのですが、
そんな波乱万丈な人生だったとは。

先日も書きましたが、
同じ年代の女性は、同年代の男性が戦死したため、
生涯独身で過した人も多かったようです。

残りの人生が豊かならんことを。
そして平和な時代に生まれ育った幸せを感じました。



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コメント 2

おおしろ かずみね

nikitokiさんはじめまして。おおしろ、と申します。
私もこの全国ニュースを何気なく見ていて、演じた女性が、涙ながらに感想を述べていた姿に心を打たれました。
彼女は、戦争なんて遠い遠い無縁の世代なのに、実際に体験しなくても、実際に先輩から話を伺い、劇を演ずることで、我が出来事のように感じたのでしょうね。
もし、この演劇を生で見られるのなら見てみたいと思いましたが、うっかりメモをとりませんで、色々検索して、こちらにたどり着き、詳細を知ることが出来ました。ありがとうございました。
かく言う私も、戦後36年目に生まれた平和な世代です。
私の世代ですと、身近な戦争体験者は祖父母です。
機銃掃射にあった、とか大陸でゲリラに襲われた、とか色々な話を教わりました。
最近、祖母から聞いた新事実は、「戦時中、家が貧しく、養子に出されたが、逃げ帰った」という話でした。
帰り道「♪勝って来るぞと勇ましく~」と軍歌を歌いながら、八百屋で家族の分、有り金はたいてみかんを買ったそうです。
どうも、祖母は「もう孫もこの歳になったから、きっとわかってくれるだろう」と考えて、話すのかな、と思います。
by おおしろ かずみね (2013-08-12 00:54) 

nikitoki

おおしろさん。コメントどうもありがとうございます。このニュースをきっかけにではないのですけれど、母の若い頃の話をこの頃、よく聞くようになりました。今日、聞いて驚いたのは、戦後、岐阜にいらした、さる皇族のフォークダンスの相手をしたという話。元気なうちにいろいろと話を聞いておきたいですね。
by nikitoki (2013-08-12 21:38) 

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