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全銀ネット障害で思い出した、現金が流通する昭和の風景。集金、納金。

全銀ネットが障害で、
他行あての振り込みが出来ない、
遅延しているなどの不具合が
出ているようです。

知り合いが経営している会社でも
取引銀行がまさに障害を起こしていて、
送金できないので、対応に追われています。

この騒ぎで、銀行振り込みが出来る前は、
どうだったのか、昔のことを思い出しました。

といっても全銀ネットは1973年(昭和48年)から
始まっていますので、昔も昔、大昔のことですね。

もちろん自分は子どもだったので、
実際に仕事をして、その体験が
あるわけではないのですが、
商店、会社の多い町内で育ったので、
子どもながらその実態は知っていました。

現金での決済の場合、商店、会社は、
取引先に人が出向いて、集金したり、
逆に納金していましたね。

10日しめの月末払いとか、
中日しめの25日払いなど、
商店、会社によって支払日は
異なっていましたけれど、
街中に集金のバッグを持った人が
行き交っていましたね。

親戚が代々経営する問屋では、
集金にも行っていましたが、
納金にも多くの取引先が来ていました。

店先で受け取った現金は、
少し奥の番頭さんが確認し、受け取りを発行。

それを係に渡し、取引先に。

受け取った現金は、奥の大きな
真っ黒の重々しい金庫にしまわれていました。

問屋の取引銀行の支店は、店のすぐ近くに
あったのですが、店の人が現金を納めに
行くのでは無く、一日に一回、
銀行の人がやってきて、ひきとっていました。

その場で現金を確認して、銀行のカバンに
入れて、支店に戻る。

今から考えると、店、会社、街中を
現金が生き物のように行き来していたんですね。

給料日になると、今度は逆に銀行から、
現金を持ってくる。

店では、経理の人が、給料袋にお札、小銭、
紙の明細をそれぞれ、積めていました。

就業時間の終わりに、一人ずつ給料袋を手渡し。
若い人は背広に給料袋を入れてそのまま飲みに行ったり。
中には、飲み屋の女性が、会社の近くで待っていて、
つけを取りに来てたりなんかもしてましたね。

飲みに行き、なくすと大変だからと、
奥さんが来て、旦那さんから、
給料袋を受け取るなんて風景も。

今から考えると信じられないですね。

給料袋がなくなって、夫の権威が落ちた
なんて説もありますけれど、それくらい
現金の入った給料袋は力があったのかも
しれませんね。

かつて父方の伯父が小さな建設業を
経営していました。

社員として雇用している人もいますが、
中には一日単位で雇っている作業員も。

その場合は、仕事終わりに現場の監督が
作業員一人一人にその日の稼ぎを現金で
配ります。

それを見たことがありますが、
現金を受け取るとき、その人の
性格が見えるというか、人間性が
出るというか。

現金って、そうした人間の素の
勘定を向きだしにしてしまうのかもしれませんね。

後年、大学生になり、運動会の用品、建築用品などの
レンタルをしている会社でアルバイトをしました。

朝の貸し出し、夕方の返却の時以外は、
ほとんど仕事らしい仕事もない楽なバイト
だったのですけれど、その支払いは
仕事終わりに現金。いわゆる「とっぱらい」でした。

袋にも入っていない、むき出しのお金が
渡されるのですけれど、嬉しい反面、
自分は「時間」を切り売りする労働者なんだなと
思い知らされた気もしてちょっと複雑な気分でした。

銀行振り込み、デジタル通過など
時代はキャッシュレスとなり、
現金を手にして、使ったり、
受け取ったりすることは少なくなりました。

けれど、お金の意味を実感、体感する
という意味でも現金を小さい頃に
扱っておくことは、
大切なことかもしれませんね。


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