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安野光雅さんとの思い出。

画家の安野光雅さんが、2020年12月24日に、
お亡くなりになっていたことがわかりました。

「いつまでもお元気で長生きされる」
と思い込んでいただけに、
大きな喪失感を味わっています。

ここ最近は、お会いしていなかったのですけれど、
今、振り返ってみれば、安野さんとは、四半世紀にわたって、淡いながらも
長いお付き合いをさせて頂いていたことに、
今更ながら、驚きました。

安野さんが新宿にアトリエを
かまえていらっしゃった頃は、
そこに近いいきつけの中華料理店が、
打ち合わせや歓談の場所。

もう長年通っていらっしゃるお店なので、
お店の人は、何も聞かずに、安野さんが
お好きな料理を出されます。

その料理をどんどんとたいらげながら、
打ち合わせをするのですが、
すぐにそれは終わり、後は安野さんの独演会。

最近、読んだ本、出会った人について。
また訪れた場所、国の話などを、
次から次へと披露してくれるのです。

教員時代のオルガンとアリの話、
高峰秀子さんから、フランスの美男俳優
ジェラール・フィリップに似ていると言われた話、
(安野さんは高峰さんの大ファン、後に高峰さんの
本の装丁を手がけ、夫の松山善三さんを含め、親交があった)
司馬遼太郎、井上ひさし、森毅さんの逸話など、
練り上げられて、古典落語のようになっているものもあり、
それらを伺うのが本当に楽しみでした。

新宿のアトリエをたたまれてからは、
中央線沿線のご自宅の最寄り駅近くの、
やはり中華料理店が、
打ち合わせと雑談場所となりました。

その頃は、もう80代でいらしたのに、
健啖家で、新ネタも含め、話は
尽きることはありません。

新しいものもすぐ取り入れていらっしゃいました。

まだこちらがいわゆるガラケーしか持っていなかった頃、
いち早くスマートフォンを入手し、見事に使いこなして
いらっしゃいました。

あれだけ忙しい方なのに、秘書や弟子はおらず、
スケジュールも含めて、すべてご自身が把握。

次に会う日程を決めるのに、こちらが
紙の手帳を繰っていると、スマートフォンの
スケジュールソフトを開き、すぐにあいている
日時を提示され、予定が決まっていきました。

首からひもで吊り下げたスマートフォンを操る
安野さんの姿が今でもありありと目に浮かびます。

同郷・津和野の森鴎外の話、数学、絵について
話していただいたことなど、
まだまだ書き尽くせませんが、この辺りにしましょう。

お父様が無神論者で、ご自身も信心深くなく、
「亡くなったらおしまい」と公言されていた
安野さん。

なので、安野さんは、どこにもおらず、
われわれの記憶の中にしか存在しないのでしょう。

笑顔で語ってくれた話、教えの数々を
これからも大切にしたいと思います。

ありがとうございました。

《2016.08.10インタビュー・対談
一〇〇年前の女の子が見た日本(前編)安野光雅×船曳由美
「文藝春秋」編集部
『一〇〇年前の女の子』 (船曳由美 著)》
https://books.bunshun.jp/articles/-/3596

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画家・安野光雅さんの気に入った言葉「雲中一雁(うんちゅういちがん)」。

絵のある自伝 (文春文庫)



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