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柳家小三治さん、逝去。高田馬場で塩談義。

柳家小三治さんが、2021年10月7日、
ご自宅で心不全のためお亡くなりに
なりました。

81歳でした。

大好きな落語家のお一人だったのでとても残念です。

晩年は、いろいろな病気と闘いながらも、
その都度、復帰をされていたので、
まだまだ磨き抜かれた落語を
聞かせていただけると思っていたのですが……。

師匠とは、ご縁があり、何度かじっくりと
お話させていただいたことがあります。

最初にお目に掛かったのは、
ご自宅近くの喫茶店でした。

毎日のように通って、コーヒーを召し上がっている
というお店で、いつもの席に座って、
いつものブレンドを飲みながらのお話でした。

師匠は、オートバイ、オーディオなど
趣味が多彩なこと。またそれら凝り性の
日常をまくらとしてお話されることで
知られています。

ちょうど、その頃は、塩に凝っていらして、
外に出るときは必ず持ち歩くという
マイ塩の瓶を見せていただきました。
それも一つではなく、いくつも。

それらは、瓶をさしこみ、くるりと
巻くと巻物のようになる特製の布の
入れ物に収められていました。

そこから瓶を一つ一つ取り出し、
テーブルの上に並べて、
それぞれの塩について説明も。

自分もちょうど、その頃、
様々な塩にはまっている時で、
沖縄の粟国島の塩、新潟の笹川流れの塩などに
ついて話したら、よくご存じで、
実際に使ったこともあると話されていました。

こちらも競争心が芽生え、
小笠原のムーンソルトについて、
話し出すと、師匠は初耳だったらしく、
こちらの話に食いついてきました。

こうした強い好奇心が、師匠の人間性、
話の元になっているのだなと感じました。

この話のすぐ後にお会いした時に、
ムーンソルトを少量ですが、お渡ししたら、
はにかんだような笑顔で受け取っていただき、
丁寧にお礼されたのもいい思い出ですね。

それからしばらくたって、お弟子の三三さんが、
人気が出始めた頃にも、お会いした覚えが。

中学1年の時、1987(昭和62)年8月20日に、
寄席で小三治師匠の噺に出会い、
すっかりファンになったとの三三さんに、
先に話を伺ったあとに、お会いして、
お弟子さんのことを聞いたのですが、
なんだか照れくさそうでした。

三三さんは、甘い物がお好きと知っていたので、
わが家の近くの梅花亭の和菓子を持っていきました。
その話をしたら、小三治師匠が、
「今日はないのかい」とちょっと本気の目線で
こちらを見られました。

その日は何もお土産がなかったので、
「失敗した」としょんぼりしていると、
「冗談だよ。最近は甘い物も自由に
食べられなくなって……」とつぶやきながら、
三三さんが中学の時に親と一緒に会いに来たこと。

その時は、「せめて高校を出てから来い」と
断ったこと。
さらに三三さんは高校に入学したものの、
卒業が待てず、高校三年の二学期の終わりに、
新宿末廣亭まで会いにやって来た。
そこで結局、入門を許した話を、
まるで目の前で今まさにドラマが
展開されているような臨場感ある
語り口でしていただきました。

さらに三三さんは、小三治師匠から、
直接、噺を教わったことはないと
おっしゃっていたので、
その点について尋ねると、
「結局、師匠やら誰やらの噺を聞いて、
後は、手前の工夫だからね、噺家は」と、
多くは語られませんでした。

年を召されるにつれ、あの長くて
評判だったまくらをまったくせず、
いきなり本題に入られることも。

さらに噺自体もどんどんと無駄な部分を
そぎ落としていらっしゃるようでした。

「年は年なりの話し方があるからねー」。

そんなことを誰に聞かせるでもなく、
部屋の天井の隅に吐き出していらっしゃいました。

厳格だったお父様、ご自身の師匠である小さん師匠、
兄弟子である立川談志師匠など、様々な方の
人物談義をお伺いできたのも大きな財産です。

柳家小三治師匠の生の高座を聞くことは
かないませんが、残された膨大な録音、CD、
著書を楽しみます。

ご冥福をお祈りいたします。

十代目 柳家小三治 (別冊太陽スペシャル)


どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝


ま・く・ら (講談社文庫)


2021年10月13日追記
〇新聞各紙、ネットでの柳家小三治師匠への
 追悼文、思い出の記事を読んでいて思い出したこと。
 いろいろありましたが、その一つがハチミツ、そして歌。
 師匠は塩とともにハチミツにも凝っていらっしゃいました。
 「甘辛両党ですな」なんておっしゃっていました。
 塩と同様、小瓶に入れたマイハチミツを何種類か
 持っていらっしゃいましたね。
 (喫茶店でトーストにかけたり)
 蕎麦のハチミツの話をしたら、
 「うんうん、そりゃいいねー」と頷いて、
 熱心に聞いていただきました。

 そして歌。専門の音楽家(女性、誰だっけなー、ピアノ伴奏の方かな)に
 本格的に歌の指導を受けられていたそう。
 師匠、高座で童謡、唱歌などを歌っていらっしゃったことも。
 詳細は忘れてしまったのですが、師匠からご自身の歌唱を
 吹き込んだ私家版CDをいただきました。
 本業の歌手にはない、しみじみと味のある歌いっぷりです。
 落語とともに、師匠の歌も久しぶりに聞いてみましょう。
 俳句、やなぎ会のことについては、いつかまた。

お母さんの思い出を語った後の歌が絶品。

柳家小三治 歌ま・く・ら-ボクは歌の好きな少年だった


2021年11月3日追記
《柳家小三治さんの「人に教えたくない店」
PRESIDENT 2016年8月15日号》
https://president.jp/articles/-/20115
この中に出ている旭川の居酒屋は、
次の追悼番組でも出ていましたね。
2021年11月3日BSテレ東で放送された
《「人間国宝 柳家小三治 噺家人生悪くねえ」》
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202110190000580.html
密着ドキュメンタリー。オートバイと青春の地・北海道。
よく出来ていました。バイク仲間となじみの喫茶店も出てきましたね。
《【追悼インタビューアーカイブ】柳家小三治が噺家になるまで~
母校青山高校でよみがえる郡山少年~》
https://san-tatsu.jp/articles/131175/
《ザ・ヒューマン》《「止まらない男〜噺(はなし)家 柳家小三治」
初回放送日: 2021年3月6日》
https://www.nhk.jp/p/ts/6GLVG6Q9P4/episode/te/RMKQX7GRPY/
完全版
https://www4.nhk.or.jp/P6197/x/2021-03-20/44/24548/2860072/

バ・イ・ク (講談社文庫)



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