「愚痴というのは過去に執(とら)われる心である 暁鳥敏師」。
2015年2月13日から15日、金沢に行ってきました。
15日、帰京のため金沢駅に向かう、
犀川から長町途中に浄誓寺というお寺がありました。
(真宗 大谷派)
その表の掲示板で見かけた言葉が以下の二つです。
「愚痴というのは
過去に執(とら)われる
心である
暁鳥敏師」
「来る春も
また煩悩と
ともに生く
山本一治師」暁烏敏師は、「あけがらすはや」師。
石川県白山市ご出身で、
真宗大谷派の僧侶であり、
高浜虚子に師事した俳人また
歌人としても知られています。
白山市のサイト内、
《暁烏 敏(あけがらす はや) - 白山市》
http://www.city.hakusan.ishikawa.jp/kankoubunkabu/bunkasinkou/senzin/akegarasu.html
石川近代文学館、加賀の作家、風土に育まれた文学
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/info/novelist-02_01.html
母をよんだ
「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」
は有名です。
お寺の前を自転車で通ったのですが、
墨で半紙に書かれた
「愚痴というのは
過去に執(とら)われる
心である」
に引き留められました。
何か心に反応するものがあったのでしょうか?
過去に執着せず、
今そして未来に生きよ。
それを教えてくれるために、
引き留め、語りかけてくれたような気がしました。
15日、帰京のため金沢駅に向かう、
犀川から長町途中に浄誓寺というお寺がありました。
(真宗 大谷派)
その表の掲示板で見かけた言葉が以下の二つです。
「愚痴というのは
過去に執(とら)われる
心である
暁鳥敏師」
「来る春も
また煩悩と
ともに生く
山本一治師」暁烏敏師は、「あけがらすはや」師。
石川県白山市ご出身で、
真宗大谷派の僧侶であり、
高浜虚子に師事した俳人また
歌人としても知られています。
白山市のサイト内、
《暁烏 敏(あけがらす はや) - 白山市》
http://www.city.hakusan.ishikawa.jp/kankoubunkabu/bunkasinkou/senzin/akegarasu.html
石川近代文学館、加賀の作家、風土に育まれた文学
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/info/novelist-02_01.html
母をよんだ
「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」
は有名です。
お寺の前を自転車で通ったのですが、
墨で半紙に書かれた
「愚痴というのは
過去に執(とら)われる
心である」
に引き留められました。
何か心に反応するものがあったのでしょうか?
過去に執着せず、
今そして未来に生きよ。
それを教えてくれるために、
引き留め、語りかけてくれたような気がしました。
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