14歳で余命8年と宣告された少年が書いた「不可能は可能になる」。ロボット博士になるという夢を実現。
あなたは、14歳の時、どんな少年、少女でしたか?
今、自分を振り返ってみると、バカだったとしか言いようがないのですが、
そのときに、医師からこんな言葉を言われたらどうだったでしょうか?
「余命は八年。運が良くても一生車椅子だろう」
それから、25年。
そう宣告された少年は、千葉工業大学未来ロボット技術研究センターの所長となっていました。
古田貴之さん。
彼は、今、
《「不自由が不自由でなくなる社会を実現する、車椅子ロボットを開発したい」》
と、日夜、研究にいそしんでいます。
その彼が、先頃(2010年9月)、本を出版しました。
《不可能は、可能になる》(アマゾン)
今、自分を振り返ってみると、バカだったとしか言いようがないのですが、
そのときに、医師からこんな言葉を言われたらどうだったでしょうか?
「余命は八年。運が良くても一生車椅子だろう」
それから、25年。
そう宣告された少年は、千葉工業大学未来ロボット技術研究センターの所長となっていました。
古田貴之さん。
彼は、今、
《「不自由が不自由でなくなる社会を実現する、車椅子ロボットを開発したい」》
と、日夜、研究にいそしんでいます。
その彼が、先頃(2010年9月)、本を出版しました。
《不可能は、可能になる》(アマゾン)
《不可能は、可能になる》(楽天ブックス)
千葉工業大学未来ロボット技術研究センター(fuRo)
http://www.furo.org/
メンバー紹介、古田貴之さん。
http://www.furo.org/ja/member/furuta.html
14歳で余命八年、一生車椅子生活と宣告され、入院。
けれど半年ほどで、医者からも見放され、退院します。
上半身の力を使い、杖を使って必死に歩くうちに、
奇蹟が起こります。
古田さんは、歩けるようになったのです。
そこから、ロボット博士への道まっしぐら。
一人で秋葉原に行き、理想の脚椅子ロボットの部品を
探し回る日々。
楽しかったでしょうね。
高校卒業し、ロボットの権威・富山健が教鞭をとる
青山学院大学の理工学部に進学。
そこから理想のロボットを実現するための
様々な知識と技術を学んでいくのです。
「鉄腕アトム」の洗礼を受け、
中学の時に車椅子生活を余儀なくされ、
自分の脚となり歩いてくれるロボット、
とにかく役に立つロボットを作りたかったと言う古田さん。
その夢がまもなく現実のものになろうとしています。
3歳の時から、夢だったロボットを作る
天馬博士、お茶の水博士になったのですね。
著書のタイトルでは、ありませんが、
信念があれば「不可能は可能になる」、
逆に「挫折はあきらめた瞬間に訪れる」、
そんなことを、しみじみとかんじさせてくれる一冊です。
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