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右腕を失った20歳、路上のマジシャン。「時雨白(しぐれはく)」こと、松本崇弘さん。

毎日新聞に不定期に連載されている「あしたへ」。

読むと元気づけられる話が綴られているシリーズです。

2010年12月20日の回では、20歳になる路上マジシャン、
「時雨白(しぐれはく)」こと松本崇弘さんのストーリーが
記されていました。

8歳の誕生日に買ってもらったおもちゃのマジックカード。
それがきっかけで、マジックの世界にのめりこんだ松本さん。

最初に新しい技を披露するのは、
決まってお母さんだったそう。
お母さんも細かい所までチェックし、ダメだし。
二人で技を作り上げていたようです。

高校二年の時に、「中退してマジックを勉強したい」と
申し出た時は、そのお母さんももちろんお父さんも反対。
中学の恩師まで出てきて、中退をやめるよう説得しましたが、
無駄だったようです。

07年11月末に退学し、東急ハンズでマジックセットの
実演販売などして腕を磨いていたものの、試練が訪れます。

2009年7月のこと、右腕が腫れ上がり、指先が動かなくなったそう。
その2週間前、人と買い物中にぶつかり転倒。
右肘を湿布したが皮膚がただれたのですが、そこから菌がいり、
筋肉が壊死したのだそう。

その結果、右腕の肘から先を切断するか、
傷みをずっと我慢し続けるかの苦しい選択を迫られます。

普通なら、ここでマジックの世界をあきらめると
思うのですが、松本さんは、
《1本の手でどんなマジックができるかと考えてみた。
「片手を僕の特徴にすればいいんだ」。》

前向きに考え、2009年9月、腕を切断。

現在は、週末、路上でパフォーマンス。

《最後には決まって言うせりふがある。
「どんなに高い壁があったとしても、
信じていればきっと夢はかなうと思うんです」。》

ピアニストの館野泉さんのことを思い出しました。
皆さんはご存じでしょうか?

2002年、ステージ上で脳溢血で倒れ、右半身不随となりました。
使えるのは、左手だけ。

2年余の闘病生活。
懸命にリハビリし、息子さんの勧めもあり、
左手だけでの演奏活動を始められました。

松本さんにも、ハンディがあることを感じさせないくらいな、
マジックを披露したいもの。

一方、恵まれた自分は…と考えさせられました。


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松本さんの記事。
毎日新聞、2010年12月20日、
《あしたへ:突然の右腕切断、20歳・路上のマジシャン かなう夢、わける勇気》
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101220ddm041040071000c.html
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