若者が大切にしていた牡丹を折った。アナタならどう声をかける。貝原益軒の「牡丹の花」。安倍総理の施政方針演説。
あなたが大切にしていた牡丹を、
若者が過って折ってしまった。
あなたならどうしますか?
そして壊した相手にどんな言葉をかけますか?
おや、この話、つい最近、
どこかで聞いたことがあるぞと思った方、そうです。
先日の安倍総理の施政方針演説の最後に、
紹介されていたエピソードの一つです。
江戸自体の博物学者、貝原益軒。
医療に関する書物「養生訓」、植物書「大和本草」などで、
知られています。
この貝原益軒が、大切に育てていた牡丹を、
留守番の若者に過って折られてしまったことがあります。
益軒は、若者を許します。
そして、次のように告げるのです。
「自分が牡丹を植えたのは楽しむためで、怒るためではない」。
貝原益軒は、筑前の生まれ。本名は篤信。
福岡藩に儒者として仕えますが、藩主に諫言したため、
その怒りを呼び、役目を解かれ、浪人生活を送る羽目になります。
次の藩主になり、許され、藩に戻り奉公。
多大な業績を残すこととなります。
号は、損軒。
今の益軒にしたのは、
役目を終え隠居してからのことだそう。
長らく「損軒」だったのですね。
自分が損をしても、相手を助けていると、
いつかそれが益になって自分の元に返ってくる。
晩年になり、若い時の損が、
ようやく益になって帰ってきたのでしょうか。
奥さんを大事にし、二人で旅行に出かけていた益軒。
「楽」しむことを大切にしていた人でもあるよう。
その生き方、教えは、
今こそ思い起こす必要があるのかもしれません。
西日本シティ銀行
《日本のアリストテレスと言われた江戸時代の大学者「貝原益軒」》
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/011/01.html
貝原益軒アーカイブ、中村学園
http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/lib_data/index.html
《2009 年 8 月 25 日放送
漢方医人列伝 「貝原益軒」
作家 山崎 光夫》
http://medical.radionikkei.jp/tsumura/final/pdf/090825.pdf
《園芸好きで自分の庭にいろいろな花を丹精込めて栽培していました。
ある時、益軒が城務めをしている間に、門人たちが庭に出て
相撲を取った。その時、何のはずみか、益軒が大事に
している牡丹の花を折って踏みつけてしまいます。
恐る恐る大家さんに頼んで謝ってもらおうとしたところ、益軒は
「私が牡丹の花を丹精込めて栽培しているのは、人を怒るためではない。
安心するように」と言って安堵させたという話が伝わっています。》
産経新聞。
《貝原益軒の「牡丹の花」の逸話で野党に協力呼び掛け》
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130228/plc13022814420015-n4.htm
《江戸時代の高名な学者である貝(かい)原(ばら)益(えき)軒(けん)は、
牡(ぼ)丹(たん)の花を大切に育てていました。ある日、外に出ていた間に、
留守番の若者が、その花を折ってしまいました。怒られるのではないか、
と心配する若者に対して、益軒は、こう述べて許したと言います。》
《「自分が牡丹を植えたのは、楽しむためで、怒るためではない。」》
2020年8月27日、
このエントリーにアクセスが集まっています。
今日は貝原益軒の命日。
「ことば検定プラス」に貝原益軒に関する
問題が出たことが原因のようです。
若者が過って折ってしまった。
あなたならどうしますか?
そして壊した相手にどんな言葉をかけますか?
おや、この話、つい最近、
どこかで聞いたことがあるぞと思った方、そうです。
先日の安倍総理の施政方針演説の最後に、
紹介されていたエピソードの一つです。
江戸自体の博物学者、貝原益軒。
医療に関する書物「養生訓」、植物書「大和本草」などで、
知られています。
この貝原益軒が、大切に育てていた牡丹を、
留守番の若者に過って折られてしまったことがあります。
益軒は、若者を許します。
そして、次のように告げるのです。
「自分が牡丹を植えたのは楽しむためで、怒るためではない」。
貝原益軒は、筑前の生まれ。本名は篤信。
福岡藩に儒者として仕えますが、藩主に諫言したため、
その怒りを呼び、役目を解かれ、浪人生活を送る羽目になります。
次の藩主になり、許され、藩に戻り奉公。
多大な業績を残すこととなります。
号は、損軒。
今の益軒にしたのは、
役目を終え隠居してからのことだそう。
長らく「損軒」だったのですね。
自分が損をしても、相手を助けていると、
いつかそれが益になって自分の元に返ってくる。
晩年になり、若い時の損が、
ようやく益になって帰ってきたのでしょうか。
奥さんを大事にし、二人で旅行に出かけていた益軒。
「楽」しむことを大切にしていた人でもあるよう。
その生き方、教えは、
今こそ思い起こす必要があるのかもしれません。
西日本シティ銀行
《日本のアリストテレスと言われた江戸時代の大学者「貝原益軒」》
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/011/01.html
貝原益軒アーカイブ、中村学園
http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/lib_data/index.html
《2009 年 8 月 25 日放送
漢方医人列伝 「貝原益軒」
作家 山崎 光夫》
http://medical.radionikkei.jp/tsumura/final/pdf/090825.pdf
《園芸好きで自分の庭にいろいろな花を丹精込めて栽培していました。
ある時、益軒が城務めをしている間に、門人たちが庭に出て
相撲を取った。その時、何のはずみか、益軒が大事に
している牡丹の花を折って踏みつけてしまいます。
恐る恐る大家さんに頼んで謝ってもらおうとしたところ、益軒は
「私が牡丹の花を丹精込めて栽培しているのは、人を怒るためではない。
安心するように」と言って安堵させたという話が伝わっています。》
産経新聞。
《貝原益軒の「牡丹の花」の逸話で野党に協力呼び掛け》
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130228/plc13022814420015-n4.htm
《江戸時代の高名な学者である貝(かい)原(ばら)益(えき)軒(けん)は、
牡(ぼ)丹(たん)の花を大切に育てていました。ある日、外に出ていた間に、
留守番の若者が、その花を折ってしまいました。怒られるのではないか、
と心配する若者に対して、益軒は、こう述べて許したと言います。》
《「自分が牡丹を植えたのは、楽しむためで、怒るためではない。」》
2020年8月27日、
このエントリーにアクセスが集まっています。
今日は貝原益軒の命日。
「ことば検定プラス」に貝原益軒に関する
問題が出たことが原因のようです。
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