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もやしの思い出。戦時中に家で手作りしていたと母。味は緑豆よりブラックマッペ。

NHKの《金曜イチから》という番組。

2017年12月8日は、
《金曜イチから「もやしが食卓から消える!?どうする食品の“適正価格”」》
http://www4.nhk.or.jp/ichikara/x/2017-12-08/21/13730/1503115/
を放送していました。

最近問題となっている、
製造原価を割るような激安の
「もやし」問題を取り上げていました。

母と一緒に見ていました。



しばらくしたら、母が戦時中の話をし始めました。

岐阜の実家で先の大戦の折に、
家でのもやし作りが町内で奨励されていたんだそう。

それを受けて、母の母(祖母)が、
家の庭で作った大豆を使ってもやしを
栽培していたんだそう。

小さかった母は、朝、もやしの水を
替える手伝いをしていたとか。

日露戦争の折、ロシアは長期の航海による
ビタミンC不足で壊血病になる兵士が多数出現。

このため日本軍の勝利に終わったのですが、
ロシア軍がいた旅順の倉庫には、たっぷりの
大豆が残されていたよう。

もしこれが日本兵だったら、これで、
もやしを作って、ビタミンC不足を
補ったと言われていたようです。

実際、旧日本軍では、
1918(大正7)年のシベリア出兵の時に、
兵隊の食料に「もやし」を加えたとのこと。

それはともかく、第二次世界中、
簡単に短期間でできるもやしは、
サツマイモなどと並んで、日本国民の
お腹を満たしたのでしょうね。

そして母は、昔、一般的に流通していた
小さな黒いブラックマッペという豆の
もやしについて話しました。

現在のもやしは、
中国の緑豆という豆のもやしがほとんど。

けれど以前はブラックマッペのものが主流で、
店で売っているのはほとんどがそれだったそう。

緑豆もやしより、軸が細くて、甘みが強かったそう。

小さかった時、近くにあった中華料理店の
ラーメン(支那そばと言っていた)に
入っていたもやしは、このブラックマッペでした。

もやし生産者協会
《もやしについて》
http://www.moyashi.or.jp/whats/

そこのもやし炒めにはひげ根も入っていました。
ご主人曰く、もやしは根の部分がうまく、
味が良いとのこと。
(口触りが悪いので取り除くように
と多くのレシピにあるがそれは間違いとのこと)

ただブラックマッペのもやしは、
すぐに火がはいるので、うまく炒めないと
すぐにべちゃべちゃになり、水が出てしまう。
強火で瞬間的に炒める火力と技が必要だとか。

炒めてもシャキッとした
その店のもやし炒めは
絶品だったなー。

近くのスーパーには、
ブラックマッペ細もやしは、
見かけません。

また食べて見たいなー。


深谷市にあるモヤシ生産
「飯塚商店」の二代目社長、
飯塚雅俊さん。

その飯塚さんが生産しているのは、
昔ながらのほとんどの工程が手作りのもやし。

豆はブラックマッペ。

軸は細長く、根も長い姿で、
本来持つほろ苦さや甘みがあるもやしです。

大規模施設で大量生産される
現在のそれではないため、
値段は200グラム100円~200円とか。


闘うもやし 食のグローバリズムに敢然と立ち向かうある生産者の奮闘記


《まぼろしの「もやし」求めて》
https://ameblo.jp/matt1119/
飯塚雅俊、飯塚商店
https://www.facebook.com/fukayanomoyashiya/


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