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西郷どんと日本橋人形町。屋敷跡、浜町神社。西瓜、江戸前寿司、カステラ、くず餅。

2018年、NHK大河ドラマは
西郷隆盛が主人公の「西郷どん」。
https://www.nhk.or.jp/segodon/

2018年1月7日から放送が始まりました。

ゆかりの地は、故郷・薩摩。
鹿児島県ですが、実は東京にも
ゆかりの地があります。

上野公園の銅像は有名ですけれど、
日本橋人形町もその一つ。

1871年明治4年に、
新政府の参議になり上京。
征韓論を機に下野し、(明治6年の政変)
鹿児島に戻るまでの2年間、
現在の日本橋小学校あたりの
広大な屋敷に住んでいました。
(43歳から45歳、もともとは姫路藩の上屋敷)

明治6年(1873年)に発行された
「第壱大区沽券図」には、
「蛎殻町1丁目壱番/二千六百三十三坪
/金千五百八十六円/西郷隆盛」
と記されています。

沽券図とは地籍図のこと。
東京都公文書館、「沽券地図」参照
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0701syoko_kara01.htm

この屋敷には長屋もあり、郷里の書生を
15人ほど住まわせ、さらには下男7人を雇い、
猟犬を数頭飼っていたんだそう。

今の住所で言うと、
人形町1丁目1番、小網町14番、
蛎殻町1丁目10番から13番。

現在その土地には上に述べたように、
日本橋小学校、日本橋幼稚園、
さらに京粕漬けで知られる魚久本店
https://www.uokyu.co.jp/shop/honten.html
などがあります。

学校の正門前には「西郷隆盛屋敷跡地」との
中央区教育委員会による説明板が立っています。

日本橋小学校の上には日本橋図書館があります。
そこでは、2018年1月24日まで、
「西郷隆盛と明治時代展」が開催されています。
https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/infoevent?2&pid=887

西郷隆盛屋敷跡地にたつ魚久本店は、
1914年大正3年の創業なので、
西郷どんは、京粕漬けは食べていないのですが、
在京当時、利用していたのが、千疋屋総本店。
http://www.sembikiya.co.jp/

こちらは江戸時代、天保5年1834年に
現在の人形町3丁目あたりで、
野菜、果実を扱う店として創業。

維新後は、果実専門となり、
日本橋本町(室町)に移転。

http://www.sembikiya.co.jp/history/

西郷どんは、店を訪れ、
二代目のお内儀の「むら」さんに
好物の西瓜をよく注文をしていたとのこと。

東都のれん会「千疋屋総本店」
《◆西郷どんと西瓜◆》
http://www.norenkai.net/%E5%90%84%E5%BA%97%E3%81%AE%E3%82%88%E3%82%82%E3%82%84%E3%81%BE%E8%A9%B1%E3%80%90%E5%8D%83%E7%96%8B%E5%B1%8B%E7%B7%8F%E6%9C%AC%E5%BA%97%E3%80%91/

西郷隆盛と西瓜については、
明治天皇が鹿児島に巡幸した際の
エピソードが有名。

船に弱い明治天皇のため、
少しでも船に乗る時間を短くするため、
桟橋を延ばしておくように言っておいた
にもかかわらず、着いてみると全く
延ばされておらず、激怒した西郷どんは、
そばにあった西瓜をたたき割ったとのこと。

たたき割った西瓜の汁が天皇陛下の顔にかかり、
西郷どんは何度も平謝りしたとのこと。

西郷どんが亡くなった後、明治天皇は、
酒を召しあがった際に、このエピソードを
侍従達に語ったと伝えられています。

また西郷どんは、甘い物好きで
知られており、中でもカステラが好物。

人形町の自宅にいるときも、
近所の子ども達を集めて、
道徳や人の道を説いていたそうですが、
その際には、カステラをおやつに出していたとのこと。

また大久保利通宅で、大久保利通と大げんかになり、
帰ってしまったのですが、その席で出ていた
カステラがどうしても気になり、
後で書生に取りに行かせたなんて話も
伝わっています。

ドラマの1話でも、11代藩主の島津斉彬から、
(口止め料として)カステラをもらっていましたね。

カステラは長崎の名物。
坂本龍馬もカステラが大好きで、
亀山社中は、金儲けのために
カステラ作りをしていたなんてことも。
(大河ドラマ「龍馬伝」の中で描かれていた)

グルメつながりで言うと、
西郷さんは、江戸前寿司も大好物だったそう。

勝海舟と池上本門寺で会談した際、
海舟は、新富町の「蛇の目寿司」の寿司を持参。
(こちらで生まれたのが「助六寿司」)

それを食べた西郷さんは
とても気に入ったとか。

以来、寿司好きに。

文久三年(1863年)に、
屋台寿司からはじめ、
現在は割烹料理店である
日本橋室町にある
「日本橋 とよだ」には、
自ら足を運び、寿司を楽しんだそう。
なかでも鮪のづけが一番の好物だったそうです。
(「赤ベロベロしょっぱづけ」)

日本橋とよだ
http://www.toyoda.tokyo/

西郷家ゆかりの場所としては、
屋敷跡から少し離れるのですが、
トルナーレ日本橋浜町内にある
濱町神社があります。

ここは、もともとは幕府から安政年間に
島津家に引き渡され、稲荷神社が祀られ、
島津稲荷と呼ばれていました。

関東大震災後、現在の濱町神社に改称、
今に至ります。

なお現在、中央区に西郷隆盛の
直系子孫五代目の西郷隆太郎氏が在住。

その奥さんは、2017年の都議選で、
「西郷隆盛直系子孫の配偶者」として、
当選した西郷あゆ美さん。

2017年12月12日に六代目となる
男の子を無事出産されたようです。
(本家直系6代目【隆公(りゅうこう)】)

〇西郷隆盛は、旧暦の12月7日生まれ。
 (文政10年12月7日1828年1月23日ー明治10年1877年9月24日)
 2017年12月73日に上野公園銅像前で、
 生誕祭が開かれた由。(生誕190年)
https://www.keiten-aijin.com/

〇西郷隆盛は本当は父親の名前。
 本人は隆永(たかなが)。

〇西郷さんは、甘党でもあり、
 上のあげたようにカステラが好物。
 他に東京でいえば、亀戸天神の近くの
 船橋屋のくずもちも好きだったとか。

文化二年(1805年)創業
http://www.funabashiya.co.jp/
《船橋屋のくず餅~文豪に愛された味~西郷隆盛編》
http://funabashiya.com/beta02/2014/01/12/%E8%88%B9%E6%A9%8B%E5%B1%8B%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%81%9A%E9%A4%85%EF%BD%9E%E6%96%87%E8%B1%AA%E3%81%AB%E6%84%9B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%91%B3%EF%BD%9E%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B%E7%B7%A8/

鹿児島(霧島)には、西郷隆盛が
命名したという「角まんじゅう」がある。
薩摩菓子処とらや 会社の沿革
http://toraya.oitashop.com/enkaku.php

西郷どんを訪ねて、《ゆかりの地巡り》(NHK鹿児島放送局)
https://www.nhk.or.jp/kagoshima/segodon/yukari/index.html

2018年1月19日追記

先日、NHKのBSプレミアムの
「偉人たちの健康診断」で西郷隆盛が取り上げられました。

《偉人たちの健康診断「西郷どんのダイエット大作戦」》
http://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2018-01-10/10/4925/1800009/

その中で、肥満解消のため、
医師から運動することを勧められた
西郷隆盛は、繁華街で人目が多い人形町では
散歩ができないので、当時、郊外で人も少なく、
弟の西郷従道(つぐみち)が屋敷を構えていた
現在の目黒区代官山近くに、引っ越した
と紹介されていました。

番組では、沖永良部島に流された西郷隆盛が、
現地の風土病であるバンクロフト糸状虫という
寄生虫によるフィラリア症に感染したことは
触れていませんでした。
西郷は陰水腫、象皮病という症状に悩まされたのでした。
《西郷隆盛の運命を変えたのは小さな「寄生虫」だった!? 現役医師の考察とは》
https://dot.asahi.com/dot/2017052400087.html?page=2
《西郷隆盛の最期は?西南戦争での遺体確認の決め手は肥大化した陰嚢!?》
http://healthpress.jp/2015/09/post-2021.html

ちなみに「西郷山公園」は、
その西郷従道(つぐみち)が、
郷里鹿児島に帰った兄隆盛の再起を願って、
入手したものの一部。

西郷隆盛 が没した後、この地に従道が別邸を造りました。
およそ六万平方米の敷地に、洋館・和館、
さらに池のある回遊式の庭園がありました。

いつしかこの一帯を「西郷山」
と呼ぶようになったそうです。

公園は、屋敷の北東部にあたるようです。

公園の北側には、鹿児島記念樹コーナーとして、
鹿児島県や県下十四市から寄せられた記念樹が
植えられています。

目黒区、西郷山公園
http://www.city.meguro.tokyo.jp/shisetsu/shisetsu/koen/saigo.html
《歴史を訪ねて 西郷山の従道邸》
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/hokubu/saigo.html

(上の記述と番組の内容が一致しない。
征韓論で下野した兄のために入手したとされているが、
番組では、東京にいる間に人形町から引っ越した
という感じになっていた)

〇隣の菅刈公園(すげかりこうえん)も
 西郷従道の屋敷の一部。

〇江戸時代は
 豊後(現・大分県竹田市)の
 岡藩の中川家の抱屋敷。

〇西郷南州顕彰館のサイトによれば、
1873年1月に上京(43歳)。
1873年11月に帰郷(45歳) 
http://saigou.jp/saigo_life/

2018年1月1日、
《日本史アウトドアズマン列伝②「西郷隆盛のウサギ狩り」
――メタボ改善のために山野を駆ける「薩摩の巨人」》

《東京郊外の駒場野(現在の目黒区駒場)あたりに
出かけていってはウサギ狩りで汗をかいた。
ウサギ狩りや散歩などで身体を動かし、
ホフマンの健康指導の甲斐もあって、
西郷の肥満は改善したようだ》
https://www.oricon.co.jp/article/371362/

雑誌「サライ」のブログ、2018年1月12日
《西郷隆盛が犬との散歩を欠かさなかった理由【西郷隆盛よもやま話1】》
https://serai.jp/hobby/300309
《ドイツ人医師のホフマンから「このままでは命にかかわる」
と減量をすすめられた西郷は、犬を連れて山野で狩猟をし、
つとめてよく歩くようになった。》
https://serai.jp/hobby/300309

追記
2018年11月26日
《にほんばし人形町 2017年冬号》は
西郷隆盛と人形町を特集。
http://www.ningyocho.or.jp/images/magazine/pdf/2017winter.pdf





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nikitoki

第42回は、2018年11月11日放送「両雄激突」。ちょうど、西郷どんが、東京に滞在していたころ。そのためかこのエントリーにアクセスが集中しています。
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/42/
by nikitoki (2018-11-11 22:02) 

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