「天知る、地知る、人知る。神様がいるんだなと思いました」と池坊評議員会議長。
日本相撲協会のゴタゴタ。
2018年3月27日の日刊スポーツの一面に
《池坊砲 天知る、地知る、人知る 不正はバレるのよの意》
との大きな見出しが出ていました.
記事本文には、
《貴乃花親方についてコメントを求められると
「天知る、地知る、人知る。
神さまがいるんだなと思いました」と、
意味深な言葉を残した》
《池坊議長、貴乃花親方に「天知る、地知る、人知る」
[2018年3月27日5時3分]》
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201803260000837.html
日刊スポーツには、
《中国の故事は「天知る、地知る、我知る、人知る」
2人の秘密にしようと思っても、天地の神々も知り、
自分も相手も知るのだから、不正は必ず露見するという意味。》
と解説があります。
この記事を読んで、池坊議長のコメントに
ちょっと違和感があったのですが、
日刊スポーツを細かく見ると、
一面大見出し下の方に、犬のキャラクターが
《ちょっと的を射てない感じがするけどなぁ~》と
ぼやいていました。
「天知る」の故事ですが、
後漢書楊震伝の「天知る、神知る、我知る、子知る。
何をか知る者無しと謂わんや」に基づきます。
(「神」は十八史略の頃には「地」となったよう。
「子知る」は「なんじしる」と読み下すのが一般的。
この言葉を短くして「四知」とも)
楊震は「ヨウシン」。
後漢六代安帝時代の学者・政治家で、
清廉潔白な人物として知られます。
しばしば主君に諫言を行なったため、
主君や、その周囲の臣下に疎んじられ、
最後は服毒で死に追い込まれます。
その子孫に、隋の初代皇帝(在位581~604)
である楊堅(ようけん)がいます。
上の言葉は楊震が、王密のさし出す
わいろを断った時のものです。
楊震が、50歳ではじめて
東莱郡の太守(地方の役人)になり、
任地への途中、昌邑(ショウユウ)に
泊まることになります。
そこに王密という男がやってきます。
そこに、昔、自身が荊州の茂才として推薦した
王密(オウミツ)が昌邑の県令となっていました。
王密は、宿にやってきて、お礼として、
金十斤を楊震に差し出します。
楊震は、「自分はあなたのひとがらを知っているのに、
あなたが私が賄賂などを受け取らない人物であることを
知らないのはどういうことだ」と断ります。
しかし王密は「誰にもわからないから」
と賄賂を受け取るよう強く勧めたのです。
そこで楊震が言ったのが
「天(てん)知る 地知る 我(われ)知る 子(し)知る」。
(その後に、「何謂無知」。誰も知らないなんてことはない)
王密はこの言葉を聞いて、
自らを大いに恥じて、帰って行きます。
コトバンク、大辞林第三版
《天知る,地知る,我知る,人知る てんしるちしるわれしるひとしる》
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9F%A5%E3%82%8B%2C%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E3%82%8B%2C%E6%88%91%E7%9F%A5%E3%82%8B%2C%E4%BA%BA%E7%9F%A5%E3%82%8B-336693
《今日の四字熟語
No.1027 【楊震四知】 ようしんしち》
http://fukushima-net.com/sites/meigen/1209
以前書いたエントリー
《馬肉混入問題。「天知る地知る我知る子知る」。》
http://yarinokoshi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-15
今回の池坊さんの、この言葉の使い方には、
少し首をかしげる点はあるものの、
小さい時に祖母からよく聞かされ、
信条の一つとなっている故事名言を
思い出させてくれました。
大いに感謝いたします。
2018年3月27日の日刊スポーツの一面に
《池坊砲 天知る、地知る、人知る 不正はバレるのよの意》
との大きな見出しが出ていました.
記事本文には、
《貴乃花親方についてコメントを求められると
「天知る、地知る、人知る。
神さまがいるんだなと思いました」と、
意味深な言葉を残した》
《池坊議長、貴乃花親方に「天知る、地知る、人知る」
[2018年3月27日5時3分]》
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201803260000837.html
日刊スポーツには、
《中国の故事は「天知る、地知る、我知る、人知る」
2人の秘密にしようと思っても、天地の神々も知り、
自分も相手も知るのだから、不正は必ず露見するという意味。》
と解説があります。
この記事を読んで、池坊議長のコメントに
ちょっと違和感があったのですが、
日刊スポーツを細かく見ると、
一面大見出し下の方に、犬のキャラクターが
《ちょっと的を射てない感じがするけどなぁ~》と
ぼやいていました。
「天知る」の故事ですが、
後漢書楊震伝の「天知る、神知る、我知る、子知る。
何をか知る者無しと謂わんや」に基づきます。
(「神」は十八史略の頃には「地」となったよう。
「子知る」は「なんじしる」と読み下すのが一般的。
この言葉を短くして「四知」とも)
楊震は「ヨウシン」。
後漢六代安帝時代の学者・政治家で、
清廉潔白な人物として知られます。
しばしば主君に諫言を行なったため、
主君や、その周囲の臣下に疎んじられ、
最後は服毒で死に追い込まれます。
その子孫に、隋の初代皇帝(在位581~604)
である楊堅(ようけん)がいます。
上の言葉は楊震が、王密のさし出す
わいろを断った時のものです。
楊震が、50歳ではじめて
東莱郡の太守(地方の役人)になり、
任地への途中、昌邑(ショウユウ)に
泊まることになります。
そこに王密という男がやってきます。
そこに、昔、自身が荊州の茂才として推薦した
王密(オウミツ)が昌邑の県令となっていました。
王密は、宿にやってきて、お礼として、
金十斤を楊震に差し出します。
楊震は、「自分はあなたのひとがらを知っているのに、
あなたが私が賄賂などを受け取らない人物であることを
知らないのはどういうことだ」と断ります。
しかし王密は「誰にもわからないから」
と賄賂を受け取るよう強く勧めたのです。
そこで楊震が言ったのが
「天(てん)知る 地知る 我(われ)知る 子(し)知る」。
(その後に、「何謂無知」。誰も知らないなんてことはない)
王密はこの言葉を聞いて、
自らを大いに恥じて、帰って行きます。
コトバンク、大辞林第三版
《天知る,地知る,我知る,人知る てんしるちしるわれしるひとしる》
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9F%A5%E3%82%8B%2C%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E3%82%8B%2C%E6%88%91%E7%9F%A5%E3%82%8B%2C%E4%BA%BA%E7%9F%A5%E3%82%8B-336693
《今日の四字熟語
No.1027 【楊震四知】 ようしんしち》
http://fukushima-net.com/sites/meigen/1209
以前書いたエントリー
《馬肉混入問題。「天知る地知る我知る子知る」。》
http://yarinokoshi.blog.so-net.ne.jp/2013-02-15
今回の池坊さんの、この言葉の使い方には、
少し首をかしげる点はあるものの、
小さい時に祖母からよく聞かされ、
信条の一つとなっている故事名言を
思い出させてくれました。
大いに感謝いたします。
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