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女優の京マチ子さんの訃報で思い出した、大叔母。大阪松竹少女歌劇団。

先日、亡くなられた女優・京マチ子さん。

このブログでも追悼文を書きました。

女優の京マチ子さん亡くなる。享年95。「羅生門」「雨月物語」「浮草」。

これを伝える新聞記事を読んでいて、
京マチ子さんが、
大阪松竹少女歌劇団(現OSK日本歌劇団)の
出身であることを思い出しました。

女性がレビューをするので
有名なのは、宝塚歌劇団。

それが成功したので、その後を追って、
結成されたのが、大阪少女歌劇団のようです。

松竹と名称があるように、東宝の
宝塚に対し,松竹が作った歌劇団です。

京マチ子さんの訃報で、この
大阪少女歌劇団を目にして、
しばらくして、大叔母のことを思い出しました。

京マチ子さんは1924年(大正13年)3月25日生まれ。
大叔母も同年代です。

小さい頃から、歌や踊りが好きで、
踊りの習い事をしていたそう。

大叔母は小柄ながら、兄弟姉妹の中では
一番、器量が良く、自分が知る年代は、
もちろんもっと後ですが、こちらも亡くなった
女優の池内淳子さんに似ていました。

そんな大叔母が女学校を卒業する年だか、
その前の年だか、大阪少女歌劇団の試験に
合格し、入団しようとしたらしいのです。

《京マチ子さんは、小学校卒業後の
1936年(昭和11年)に大阪松竹少女歌劇団
(OSK)に入団》

大叔母は、両親(自分にとっては曾祖父、曾祖母)に
願い出たものの、当然のことながら、反対されます。

しかし思いやみがたい大叔母は、夜、身の回りの
物をまとめて、家出をしますが、深夜のことですから、
交通機関もなく、歩いて家を離れました。

しかし、夜が明けて、娘の姿が見えない家族が、
すぐに手分けして捜索。
家族に見つかって家に連れ戻しされてしまった
とのことです。

その後、両親は、結婚をさせようと、結婚相手を
探すのですが、大叔母はそれが気に入らず、
かねてから好意を抱いていた男性と、女学校卒業後、
家事手伝いをしていた時に、駆け落ちしたのでした。

結婚した大叔母と義理の大叔父はどちらの家からも
縁切りをされ、かなりつらい生活を送ることになります。

以前にも書いたように、鉱山で働くため、
山の中の社宅で暮らしたりもしています。

その後、京阪線沿線で長年暮らし、
家も購入し、一男一女を授かり、生活。

晩年は、娘が暮らす横浜に移転。
そこで亡くなります。

大阪松竹少女歌劇団の話は、わが家で聞いたか、
大阪の大叔母の家で聞いたか、記憶が定かでは
ないのですが、何度か話してくれました。

結婚、子育て、さらにそれが一段落して、
自由になる時間があっても、大阪松竹少女歌劇団を
見に行くことはなかったようです。

「もしあのとき、入団していたら、
どうなったろうね」。

私に尋ねているようで、その問いは自分に
問いかけていたのかも知れません。

もしそうならどんな人生が待っていたのでしょうか。

《関連エントリー》
大叔母の死。遠くの親戚、知人に告げず、同居の家族だけで、ひっそりと逝く。





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