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夏目雅子さんの思い出。2021年9月11日で亡くなって36年。

俳優・夏目雅子さん。
2021年9月11日で、
亡くなってから36年になるそうです。

もうそんなに経つのかと驚いています。

2021年9月10日、日経新聞夕刊の
連載《あすへの話題》で、夏目さんと
仲が良かった俳優の中井貴惠さんが
《雅子ちゃんのこと》とのタイトルで
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75636000Q1A910C2MM0000/
思い出を書かれています。

それを読んで、自分も夏目さんの
個人的な思い出がよみがえりました。

《東京・世田谷の下馬あたりを通るといつも思い出す人がいる。
その人は路地からでてくると、私の運転する車の前で手をあげ、
前を走っていたタクシーをとめた。タクシーに乗りこもうと
したとき持っていたハンドバッグを落とし、中身が道路に散らばった。
それを急いで拾い集め車に乗り込む彼女。その間数十秒、終始笑顔。
後ろに止まった私はその一部始終を見ていたのだ。》

同い年、女子校出身と共通点も多く、ドラマで共演して以来、
意気投合した中井さんは、上のような場面に出くわしました。

《こんな路上で、しかもこんな偶然。
不思議な縁を感じた》と記されています。

自分はさすがにバッグを落としたところまでは、
見ていませんが、ちょうどその頃、
下馬に住んでいました。

何度かお見かけしたこともあります。

ある朝、おそらく夏目さんがタクシーを拾った道路に
面したところにあったコンビニに、朝食と飲み物を
買いに出かけました。

その通りに出る前に出くわしたのが、夏目さんではなく、
もうお亡くなりになった芸能レポーターの梨元勝さん。

こちらにやってきて、
「この辺りに夏目雅子さんのお宅が
あるそうなんですが、知りませんか」
と尋ねられたのです。

あの頃は、梨元さんはワイドショーで
芸能ニュースを追っかけていて、
芸能人の自宅を直撃し取材していました。

その日は、おそらく婚約発表直前の
夏目さんのコメントをとろうと
やってきたのでしょうね。

さてどうする。
教えてしまって良いのか、
ためらったのです。

夏目さんのお住まいは存じ上げていました。
しかし、自分が教えて、それが夏目さんの
突撃取材としてテレビになるのは、
なんとなくいやだったのです。

どうしたか。

「あ、あちらの角を曲がって、
300メートルほど行ったところです」

当時の夏目さんのお住まいとは
全く見当違いの場所を教えていました。

夏目さんの婚約会見が、ご自宅の庭で
開かれたのは、この日から数年が経っていました。
(1984年07月01日)

自分も下馬から引っ越して別の場所に
移っていたのですが、会見された場所は、
自分が知っていた場所とは別の場所でした。

そして翌、1985年(昭和60年)9月11日、
わずか27歳で夏目さんは亡くなられます。

その知らせを聞いた時に思い出したのは、
数々の作品での夏目さんの姿と、
何度か自宅近くでお見かけした姿と、
上の梨元勝さんでした。

自分が就職してすぐの頃、
主要な取引先は、六本木にありました。

週に数度は訪れていたその会社が
入っていたのは、亀甲ビル。

夏目さんのご実家が営んでいた金物屋(亀甲屋)が
前回の東京オリンピックの道路拡張にともなって
建てられたビルでした。

夏目さんは生まれてから建て替えられるまで、
そこに住んでいらっしゃったと
ビルのご近所の方から伺いました。

また取引先で親しくなった方は鎌倉在住。
あるとき、その人がなじみの寿司店に
連れて行ってくれました。

そしたらそこのご主人と夏目さんご夫妻は
仲が良くて、二人の媒酌人を務められ、
結婚式もここでしたと教えてもらいました。
(ご主人からではなく取引先の人から。
それからずいぶん後になって気付いたのだが、
店内には伊集院静さんの直筆の作品原稿が飾られていた)

ここ最近は、こちらの寿司店に伺うことはないのですが、
すぐ近くのイタリアンのお店をよく訪れていました。
寿司店の前を通る度に、夏目さんのことを思い出したものです。
(お二人が新婚時代を過ごしたのも鎌倉。仕事先で倒れられた
夏目さん。二度と鎌倉に帰ることはありませんでした。
なおこのお二人が暮らしたお宅のすぐ近くに、数年前に
親しくなった別の取引先の人が住んでいる)

また20年ほど前に、プライベートで知り合った
年上の女性の方と、たまたま女子校の話になりました。

その方は女子校出身だったのですが、
なぜか社会人になってからも、
女子校出身の人と仲良くなりやすいと。

女子校には女子校の独特の雰囲気があると。
そして夏目さんと同級生であるとも教えてくれ、
学生当時の夏目さんの話をしていただきました。

そして夏目さんのご遺族が設立された
ひまわり基金に毎年寄付をされていることも。
(またそれとは別にヘアードネーションも
されているとのこと)
https://www.himawari-kikin.com/

書いていると、とりとめもない
思い出が次々とよみがえってきました。

また次の機会にでもそれを記し、
思い出供養することにしましょう。


ふたりの「雅子」

(お母様も平成20年にお亡くなりになられています)



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