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「虚舟のたとえ」

あなたは、
「虚舟のたとえ」という表現を
お聞きになったことはありますか?

中国の戦国時代の思想家・荘子(そうじ)の書いた
「荘子(そうじ)」の中に出てくる逸話です。
(「荘子」山水篇 第二十)

舟で川を渡ろうとしているとき、
人が乗っていない空の舟(虚舟)が来て、
自分の舟にぶつかったとします。

このとき、舟に乗っていたあなたは怒るでしょうか?
おそらく腹を立てないでしょう。

ところが、その舟に人が乗っていたら、
注意したくなり、果ては怒声をあげたり
するかもしれません。

同じく舟がぶつかっても、人がいるといないとで、
こんなに違いがあるのはなぜなのでしょうか?

「虚舟舟に触るとも人怒らず」とも使われます。

心を無にして言ったことは、
人の感情を害することがないということ。

我を出さず、心を空にすれば、人を害さない、
虚心坦懐、無私無欲を説いた教えのようです。

「船を並べて河を済るに、虚船の来たりて船に触るるあれば、
偏心のあるの人と雖も怒らず。一人其の上に在るあれば、
則ち呼びてこれを張歙(ちょうきゅう)せしむ。
一たび呼びて聞かれず、再び呼びて聞かれず。
是において三たび呼ばんか、則ち必ず悪声を以って
これに随(したが)わん。
向には怒らずして今や怒るは、向には虚にして今は実なればなり。
人能く己を虚にして以って世に遊べば、其れ、孰か能くこれを害せん。」
(「荘子」山水篇 第二十)

荘子〈第2冊〉外篇 (ワイド版 岩波文庫)》(アマゾン)


己を空しくして、無心の境地には、
なかなかなれそうにありませんが、
なぜかこの言葉を思い出した、今日この頃。

Yahoo!百科事典《荘子(そうし)》 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%8D%98%E5%AD%90/

荘子は「そうし」とも読むが、
「曾子(そうし)」との混同をさけるため
「そうじ」と言うことが多い。

荘子。よく知られているのが「胡蝶の夢」
荘子が胡蝶となった夢を見た。目を覚ました後、
自分が夢で胡蝶となったのか、胡蝶が今、
夢の中で自分になっているのかどちらか疑ったとの故事。
(「荘子‐斉物論」)

ここから「胡蝶の夢」は 夢と現実とが定かでないことのたとえ。
また夢と現実の区別を超越するたとえ。
さらに人生のはかないことのたとえでもある。

この故事から荘子=蝶を指すことも。




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