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吉川英治記念館閉館の危機。石原裕次郎、美空ひばり……。時の流れは残酷。

実家のガラスがついた本棚。

そこに並べられていたのが、
吉川英治文学全集でした。

「鳴門秘帖」「宮本武蔵」
「新書太閤記」「新・平家物語」
「私本太平記」などが収められていました。

ちょっと背伸びして読んだ中では、
自伝的な小説「カンカン虫の唄」が
印象に残っています。

吉川英治作品は、数多くがベストセラーとなり、
大河ドラマや映画の原作にもなりました。

多くの読者を得て、
国民的作家と言われたのです。

父もその1人。
大ファンだったので、
全集を購入したようです。




昨日の毎日新聞に、
東京都青梅市の観光名所の一つで、
今年開館40周年を迎えた吉川英治記念館が、
入館者の落ち込みなどで閉館の危機に陥っている
との記事が掲載されていました。

記念館を運営する公益財団法人
「吉川英治国民文化振興会」が、
青梅市に、記念館の寄付を申し入れ。

最盛期の90年代には、年間17万人もの
来場者があったのですが、
現在は当時の1割ほど。

このためここ数年は春と秋の期間限定の公開で、
経費を削減するなど努力していたのですが、
庭の手入れや人件費などの運営コストがかさみ、
昨年度は1600万円余りの赤字とのこと。

こうした事情があったところから、
市に記念館の寄付を申し入れた
とのことです。

市は、年間の運営費がかかるため、
現在、検討中です。
寄付が受け入れられなければ、
閉館もあるようです。

いやー、寂しいですね。

こちらの記念館はもうずいぶん前、
伺ったことがあります。

書斎、自筆原稿などの資料も興味深かったのですが、
大きなシイの木、四季折々の花が咲き乱れる庭の
素晴らしさに感銘を受けました。

同時に下世話な話ですが、
あの庭を維持するには、
かなりの費用がかかりそう
とも思ったことでした。

吉川英治記念館
http://yoshikawaeiji-cf.or.jp/

記事に、記述がありますが、
「ファンの高齢化」で、
来館者が減るのは
仕方のないことかもしれません。

吉川英治が亡くなったのは、
今から50年以上も前の
1962年昭和37年ですから、
作品は生き残るとは言っても、
新たな読者を獲得するのは難しく、
既存の読み手も少しずつ減っていきます。

こうして時がたつにつれて、
忘れ去られ、埋もれていくのでしょうね。

昭和の二大スターとも言われた
美空ひばり、石原裕次郎。

美空ひばりさんのご自宅が
現在、記念館として公開されています。

東京目黒美空ひばり記念館
https://www.misorahibari.jp/index.html

その前、京都の嵐山にあった
嵐山美空ひばり座は、客足が落ちた
ということで閉館され、現在は
東映太秦映画村の中に移されています。

京都太秦美空ひばり座
http://www.toei-eigamura.com/event/detail/24

石原裕次郎の小樽にあった
石原裕次郎記念館は、
今年2017年の8月31日で閉館。

1987年に亡くなった石原裕次郎。
4年後の1991年に記念館はオープンしました、

それからおよそ26年。
閉館に至ったのは、建物、施設、
映像機器が老朽化したこともあるようですが、
やはり石原裕次郎を知っている世代が減り、
来場者が減ってきたためとのこと。

あれだけの大スターでも、
ファンは減っていくのですね。

時の流れというものは、人を少しずつ追いやって、
あの世に送っていくものなのかもしれません。

小さい時に、近所に住んでいた祖父の同級生。

「年を取るということは、
知っている人がどんどんいなくなるということだ」
と話していました。

まだ小さかった自分は、
その意味が実感できずにいたのですが、
年を重ね、ようやくそれがわかってきたようです。
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