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母が語る朝丘雪路さん。隣町である浜町に住んでいた雪江(会)さん。

女優で日本舞踊家の朝丘雪路さんが2018年4月27日に
ご自宅で亡くなっていたことが、5月19日にわかりました。

82歳でした。

死因は明らかにされていませんが、
アルツハイマー型認知症で
療養中でいらしたとのこと。

今朝、リビングに出てきた母に、朝丘さんが亡くなったことを告げると
とても驚いて、一瞬固まってしまいました。

朝丘さんは母より少し下ですが、
同年代で、しかもご近所の生まれ育ち
というゆかりがあるからです。

朝丘雪路さんのお父様は、美人画で有名な
日本画家の伊東深水さん。
お母様は、芳町の芸者さんだった方で、
後に料亭「勝田」の女将、勝田麻起子さん。

朝丘雪路さんの結婚前の本名は勝田雪会(江)。

芳町は葭町とも記された場所で、
江戸時代初期には文字通り
ヨシが茂った湿地帯でしたが、
開拓されて、葭原 (吉原) と改称されました。

それ以後、歓楽地として東隣の
人形町とともににぎわいました。

そのあと遊郭は浅草に移転。
新吉原と呼ばれました。
もとの場所は元吉原と呼ばれたのです。

遊郭のあとには、中村座をはじめとした
歌舞伎の芝居小屋が立ち並ぶようになりました、

それに伴って若衆と呼ばれる男性が接客する
陰間茶屋が数多くできたそう。

その後、芝居小屋が浅草猿若町に移転。

そして深川などから流れた芸妓が移り住み、
芸妓が妍(けん)を競う花街となりました。

それ以降、昭和にいたるまで花街として栄えましたが、
戦後、次々と料亭などが消え、昭和52年には、
町名改正で芳町はなくなりました。

現在、かつての芳町に残っている
料亭は「濱田家」のみ。
芸妓も20名にも満たぬ数となっています。

葭町芸者組合
https://yosicho-geisya.amebaownd.com/

《花街と景観
―日本橋・芳町における芸者衆・職人・河川の変遷をめぐって―》
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180520144007.pdf?id=ART0009852126

芳町の説明が長くなってしまいましたが、
朝丘雪路さんは、芳町のすぐ隣町であった
日本橋浜町にかつて住んでいらしたのです。

生まれ育ちは築地。そこから浜町に引っ越し。
(料亭「勝田」は築地にあった。
浜町のお宅のご近所は、
動物の物まねで知られる江戸屋猫八さん)

(父上である伊東深水の生誕地は、隅田川を渡った
深川で、深川神明宮の門前には誕生地跡の碑がある)

母は浜町の隣町に嫁入りしてきたので、
母の知り合いの中には、浜町時代の朝丘さんを
知る方が多くいらして、彼女の昔の話を聞いたりしていたので、
芸能人であるのですが、とても身近な存在だったのです。

またさらに言えば、後に夫となる津川雅彦さん。
そのお父さんは歌舞伎俳優から映画スターとなった
沢村国太郎。
かつて七世沢村宗十郎門下でした。

その沢村宗十郎さんのお宅は
わが家のすぐそばにあるため、
ご夫妻とはおつきあいはないのですが、
とても親しく感じていたようです。

「昭和の人がどんどん亡くなっていくねー」。

母は、寂しそうにつぶやきました。

《にほんばし人形町100号》
朝丘雪路さんのインタビューが掲載されています。
浜町、人形町について語っています。
http://www.ningyocho.or.jp/images/magazine/pdf/2006summer.pdf

追記 2023年1月17日
〇これまで何度かこのエントリーにアクセスが
 集まっているのですが、今日もです。
 理由は不明です。



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