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9月19日は「糸瓜忌」。正岡子規の命日。今から辞世の句を考える知人。

まもなく9月19日。

「糸瓜(へちま)忌」
「獺祭(だっさい)忌」ですね。

近代俳句を確立した
正岡子規の命日です。

「獺祭」はかわうそのこと。
獺祭忌は、正岡子規が「獺祭書屋主人」
と号したところから、来ています。
(カワウソが獲物の魚を並べる習性があるが、
それが書物を並べる様に似ているところから)

それでは、なぜ糸瓜忌と
呼ぶのでしょうか。

正岡子規は、
亡くなる前日の明治35年9月18日の朝、
画板に紙を貼ったものを持って来させます。

そして、まず画板の中央に
「糸瓜咲いて」、その左側に
「をとといの」、さらに一番右側に
「痰一斗」と書きます。

その後に、上の3つを上五として、
3つの句を書き上げます。

「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」
「をとゝひの糸瓜の水も取らざりき」
「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」

これが正岡子規の絶筆、辞世です。

この三句に詠まれた「糸瓜」が、
忌日名となりました。

知り合いが、俳句を
もう随分前から
学んでいます。

あるとき、この糸瓜忌の由来から
正岡子規の辞世の句を知り、そこから
有名人、歴史上の人物の辞世が
気になったのだとか。

江戸時代の有名な俳人で言うと、

松尾芭蕉
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
(なお 10月12日が「芭蕉忌、時雨忌」)

小林一茶
「焼け土のほかりほかりや蚤さわぐ」
「花の陰寝まじ未来がおそろしき」
(なお11月19日は「一茶忌」、冬の季語)

他にも色々と集めて味わっているのですけれど、
あるとき、自分はまだ若いから亡くなるのは、
随分先のことと考えているが、死は何歳であっても、
いつ降りかかっても不思議ではない。

なので、そのときそのときの辞世があっても
おかしくないと考えるようになったとのこと。

「辞世の句」は自分の人生の総まとめ。
人生を一句に凝縮したもの。
それは自分にとって何だろうか。

それを常に意識するようになったとのこと。

今の辞世は何か。
それを考えることは、なかなか有意義だと。

そう聞かされて、今だったらら、
自分はどう詠むだろうか。
結構、真剣に考え込んでしまいました。

あなたも、今から辞世の句を
考えてみてはいかがでしょうか。





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