樗木(おおてき)さんは役に立たない木? 高山樗牛、滝田樗陰。荘子の「無用の用」。
NHKの番組「日本人のおなまえっ!」。
2018年9月13日放送は《【船の○○丸の謎】》
(18日に再放送)
http://www4.nhk.or.jp/onamae/x/2018-09-17/21/25297/2291053/
タイトルにある船の名前の「〇〇丸」以外にも、
名前に関する疑問を取り上げていました。
それがこの番組を担当する
スタッフ「樗木」さんの名字の謎。
「おおてき」と読みます。
この方は小さい時から自分の名前を
正しく読んでもらったことがない。
また辞書で調べたところ、
「樗木」は「ちょぼく」と読み、
役にたたない木、無用なもののたとえと。
おまけに高校に入った直後、先生からも、
この漢字が役に立たない意味であることを
クラスの前で示され、がっかりした
といったエピソードが披露されました。
なぜご先祖様はこうした意味の
名字をつけたのか知りたい
と言った疑問でした。
この樗木は実際にある木で、ニワウルシ。
中国大陸が原産の外来種です。
日本へは明治時代に街路樹や
蚕を育てるために輸入されたとのこと。
成長は早くて大きくなるものの、
材の密度が粗くもろくて、
建材としては役に立たないと。
若い枝葉をもむと悪臭があります。
こうしたことから、中国では余計者
といった意味の「樗(ちょ)」。
また「臭椿(しゅうちん)」と呼ばれていると。
Weblio 樗木(ちょぼく)
https://www.weblio.jp/content/%E6%A8%97%E6%9C%A8
「樗木」という名字は鹿児島・福島に多いとのこと。
中国思想に詳しい平木康平さんという方によれば、
「荘子」の中に樗の木の話がある。
この樗の木を見た人がこれは役に立たない木と。
しかし荘子は大きく育つからこそ木陰を作り、
人に休息を与える存在になると言い返したのです。
ここから荘子は「無用の用」を説いたのでした。
番組では、樗木さんが多い鹿児島の薩摩川内市で、
立派な樗木さんを発見し紹介。
市内の歴史資料館に、安宅船と呼ばれる
巨大な軍船の設計図などが展示されています。
これは、船大工の棟梁である樗木家で
代々保管されてきたもの。
江戸時代、大型船の建造は禁止され、
この設計図は無用のものとなりました。
しかし樗木家は、いつか役に立つときがくる
と密かに保管していたのです。
昭和になって発見されたこの設計図は、
安宅船を知る貴重な資料として、
国の重要文化財に指定されたのでした。
《船大工樗木家関係資料 ふなだいくおうてきけかんけいしりょう》
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207190
この「樗木」で思い出したのは、
編集者の滝田樗陰(たきた・ちょいん)、
そして、作家・文芸評論家の
高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)です。
樗陰はまさに荘子の逸話のまま、
そして樗牛も、自ら役立たずの牛である
と謙る筆名です。
コトバンク、
《滝田樗陰(読み)たきたちょいん》
https://kotobank.jp/word/%E6%BB%9D%E7%94%B0%E6%A8%97%E9%99%B0-92879
樗陰は、「中央公論」の編集に参加。
編集主幹として、多くの作家、ジャーナリストを発掘、
有名作家の作品を紙面に掲載しました。
原稿の依頼をするときには、作家の家まで、
定紋入りの人力車で乗り付けたことは有名。
家の前に樗陰の人力車が止まると、即ち中央公論に
掲載されるということで、一流作家の仲間入りが
出来るあかしと言われたとのこと。
なので作家は樗陰の人力車を
待ち望んでいたと言います。
最後に個人的な話です。
松山の従兄弟が結婚した先は、
栗田樗堂の一族でした。
江戸時代の伊予の俳人です。
樗堂は「荘子」の思想から来た俳名です。
栗田樗堂(くりた・ちょどう)
http://home.e-catv.ne.jp/ja5dlg/tyodou/tyodou.htm
《庚申庵こうしんあん(栗田樗堂くりたちょどうの草庵)》
http://www.haiku-matsuyama.jp/joka/198/
(庚申庵史跡庭園として開放されている)
樗堂は、後の時代、同郷の正岡子規から、
「過去四国一の俳人」と評価されています。
また小林一茶も、若い時に、松山の樗堂のもとを
訪れており、その作風に大きな影響を与えたと
言われています。
また彼は晩年、隠居剃髪し、伊予の地から
安芸国御手洗で暮らし、亡くなっています。
その墓は現在の広島県呉市の大崎下島の中。
満舟寺にあります。
《 樗堂墓/豊地区》
https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/53/shiseki14-yutaka.html
なお松山市萱町の得法寺にも墓があります。
(先祖代々の納骨堂の中に納められている)
樗堂さんは、湯豆腐がお好きだったよう。
亡くなった日を湯豆腐忌と呼び、その前後に
庚申庵史跡庭園で催しが開かれています。
(2018年は9月30日)
《湯豆腐忌・連句興行》
《樗堂さんが亡くなった旧暦1814年8月21日を
陽暦になおした10月4日の忌日を湯豆腐忌と呼び、
樗堂さんの残した『三無益』にちなんで、
湯豆腐を食べながら樗堂さんを偲びます。》
http://koushinanclub.com/?page_id=39
「三無益」(さんむやく)は樗堂が
栗田樗堂が書き残した書。
《一、追善集無益 やがて屏風の下張りとなる
一、塚しるし無益 終には犬糞の掃き寄せ場となる
一、追善会無益 但し湯豆腐の塩梅は
思ひ出し次第の心まかせか
「追悼の句集も、句碑も作ってくれるな、
派手な法要も不要だ。思い出し偲ぶならば、
湯豆腐の味加減を楽しみながらにでもしてほしい」》
という意味です。
http://www.koushinanclub.com/sinki/kousintoha/sakuhin.html
この最後の「湯豆腐」に
ちなんでいるのですね。
名利を否定し、俳諧風流に生きた
樗堂らしい遺言ですね。
テレビの樗木さんの意味から、
栗田樗堂につながりました。
昔、親戚の人に連れられて、
栗田樗堂関係の場所を巡ったことが
思い出されました。
次回、松山を訪れたら、風情のある
庚申庵史跡庭園を訪問したいですね。
2022年3月18日追記。
〇「日本人のおなまえ」(途中から番組名変更)
5年放送し、2022年3月17日、最終回が放送されました。
《日本人のおなまえ 「おなまえってすばらしいSP」
初回放送日: 2022年3月17日》
https://www.nhk.jp/p/onamae/ts/14W3P3322N/list/
各出演者が思い出の回をあげ、それが紹介されました。
その中で、この「樗木さん」の回が。
そのためか、このエントリーにアクセスが集まっています。
2018年9月13日放送は《【船の○○丸の謎】》
(18日に再放送)
http://www4.nhk.or.jp/onamae/x/2018-09-17/21/25297/2291053/
タイトルにある船の名前の「〇〇丸」以外にも、
名前に関する疑問を取り上げていました。
それがこの番組を担当する
スタッフ「樗木」さんの名字の謎。
「おおてき」と読みます。
この方は小さい時から自分の名前を
正しく読んでもらったことがない。
また辞書で調べたところ、
「樗木」は「ちょぼく」と読み、
役にたたない木、無用なもののたとえと。
おまけに高校に入った直後、先生からも、
この漢字が役に立たない意味であることを
クラスの前で示され、がっかりした
といったエピソードが披露されました。
なぜご先祖様はこうした意味の
名字をつけたのか知りたい
と言った疑問でした。
この樗木は実際にある木で、ニワウルシ。
中国大陸が原産の外来種です。
日本へは明治時代に街路樹や
蚕を育てるために輸入されたとのこと。
成長は早くて大きくなるものの、
材の密度が粗くもろくて、
建材としては役に立たないと。
若い枝葉をもむと悪臭があります。
こうしたことから、中国では余計者
といった意味の「樗(ちょ)」。
また「臭椿(しゅうちん)」と呼ばれていると。
Weblio 樗木(ちょぼく)
https://www.weblio.jp/content/%E6%A8%97%E6%9C%A8
「樗木」という名字は鹿児島・福島に多いとのこと。
中国思想に詳しい平木康平さんという方によれば、
「荘子」の中に樗の木の話がある。
この樗の木を見た人がこれは役に立たない木と。
しかし荘子は大きく育つからこそ木陰を作り、
人に休息を与える存在になると言い返したのです。
ここから荘子は「無用の用」を説いたのでした。
番組では、樗木さんが多い鹿児島の薩摩川内市で、
立派な樗木さんを発見し紹介。
市内の歴史資料館に、安宅船と呼ばれる
巨大な軍船の設計図などが展示されています。
これは、船大工の棟梁である樗木家で
代々保管されてきたもの。
江戸時代、大型船の建造は禁止され、
この設計図は無用のものとなりました。
しかし樗木家は、いつか役に立つときがくる
と密かに保管していたのです。
昭和になって発見されたこの設計図は、
安宅船を知る貴重な資料として、
国の重要文化財に指定されたのでした。
《船大工樗木家関係資料 ふなだいくおうてきけかんけいしりょう》
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207190
この「樗木」で思い出したのは、
編集者の滝田樗陰(たきた・ちょいん)、
そして、作家・文芸評論家の
高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)です。
樗陰はまさに荘子の逸話のまま、
そして樗牛も、自ら役立たずの牛である
と謙る筆名です。
コトバンク、
《滝田樗陰(読み)たきたちょいん》
https://kotobank.jp/word/%E6%BB%9D%E7%94%B0%E6%A8%97%E9%99%B0-92879
樗陰は、「中央公論」の編集に参加。
編集主幹として、多くの作家、ジャーナリストを発掘、
有名作家の作品を紙面に掲載しました。
原稿の依頼をするときには、作家の家まで、
定紋入りの人力車で乗り付けたことは有名。
家の前に樗陰の人力車が止まると、即ち中央公論に
掲載されるということで、一流作家の仲間入りが
出来るあかしと言われたとのこと。
なので作家は樗陰の人力車を
待ち望んでいたと言います。
最後に個人的な話です。
松山の従兄弟が結婚した先は、
栗田樗堂の一族でした。
江戸時代の伊予の俳人です。
樗堂は「荘子」の思想から来た俳名です。
栗田樗堂(くりた・ちょどう)
http://home.e-catv.ne.jp/ja5dlg/tyodou/tyodou.htm
《庚申庵こうしんあん(栗田樗堂くりたちょどうの草庵)》
http://www.haiku-matsuyama.jp/joka/198/
(庚申庵史跡庭園として開放されている)
樗堂は、後の時代、同郷の正岡子規から、
「過去四国一の俳人」と評価されています。
また小林一茶も、若い時に、松山の樗堂のもとを
訪れており、その作風に大きな影響を与えたと
言われています。
また彼は晩年、隠居剃髪し、伊予の地から
安芸国御手洗で暮らし、亡くなっています。
その墓は現在の広島県呉市の大崎下島の中。
満舟寺にあります。
《 樗堂墓/豊地区》
https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/53/shiseki14-yutaka.html
なお松山市萱町の得法寺にも墓があります。
(先祖代々の納骨堂の中に納められている)
樗堂さんは、湯豆腐がお好きだったよう。
亡くなった日を湯豆腐忌と呼び、その前後に
庚申庵史跡庭園で催しが開かれています。
(2018年は9月30日)
《湯豆腐忌・連句興行》
《樗堂さんが亡くなった旧暦1814年8月21日を
陽暦になおした10月4日の忌日を湯豆腐忌と呼び、
樗堂さんの残した『三無益』にちなんで、
湯豆腐を食べながら樗堂さんを偲びます。》
http://koushinanclub.com/?page_id=39
「三無益」(さんむやく)は樗堂が
栗田樗堂が書き残した書。
《一、追善集無益 やがて屏風の下張りとなる
一、塚しるし無益 終には犬糞の掃き寄せ場となる
一、追善会無益 但し湯豆腐の塩梅は
思ひ出し次第の心まかせか
「追悼の句集も、句碑も作ってくれるな、
派手な法要も不要だ。思い出し偲ぶならば、
湯豆腐の味加減を楽しみながらにでもしてほしい」》
という意味です。
http://www.koushinanclub.com/sinki/kousintoha/sakuhin.html
この最後の「湯豆腐」に
ちなんでいるのですね。
名利を否定し、俳諧風流に生きた
樗堂らしい遺言ですね。
テレビの樗木さんの意味から、
栗田樗堂につながりました。
昔、親戚の人に連れられて、
栗田樗堂関係の場所を巡ったことが
思い出されました。
次回、松山を訪れたら、風情のある
庚申庵史跡庭園を訪問したいですね。
2022年3月18日追記。
〇「日本人のおなまえ」(途中から番組名変更)
5年放送し、2022年3月17日、最終回が放送されました。
《日本人のおなまえ 「おなまえってすばらしいSP」
初回放送日: 2022年3月17日》
https://www.nhk.jp/p/onamae/ts/14W3P3322N/list/
各出演者が思い出の回をあげ、それが紹介されました。
その中で、この「樗木さん」の回が。
そのためか、このエントリーにアクセスが集まっています。
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