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「ムーンライトながら」が運転終了。「大垣夜行」「青春18きっぷ」の思い出。

東京と大垣を結ぶJR東海道線の
夜行全車指定快速列車「ムーンライトながら」が
終了することを、2021年1月22日、
JR東日本が発表しました。

すでに2020年3月を最後に、
新型コロナウイルスの影響で、
運行はしていなかったようですが、
やっぱり寂しいですね。

この「ムーンライトながら」は、
1996年からの運行。

それ以前は、夜行普通列車「大垣夜行」でした。

自分はどちらかと言えば、
こちらの方がなじみが深いですね。

岐阜や大阪の親戚宅に行く場合、
よく利用していました。

また大学生の頃の夏休み、
大阪からさらに足を伸し、山陽(下関)、
もしくは、四国に渡ったり……。

自分は東京駅から乗っていたのですが、
ムーンライトながらの場合は、
横浜駅(後には小田原駅)までの切符を
別に買って、青春18きっぷを1枚(回)分、
節約したりしてましたね。
(大垣夜行の場合は、戸塚駅まで)

ムーンライトながらは、リクライニングが効きますが、
大垣夜行は、本当に普通列車の車両なので、
リクライニングが効かず、結構大変だったなー。
(ボックス席)

遅い時間に行くと、青春18きっぷの人に加え、
通勤帰りの人も多く、座れなかったことも。
でもまあ、横浜を過ぎた辺りからはすくので、
座れるのですが……。

そういえば、グリーン車もあったなー。
通勤帰りの人は、そこに乗ったりしていたなー。

空気枕は必須。
しかしやっぱり、長時間乗った後の、
疲れは半端なかったですね。

若かったからできたんでしょうね。

当時からは夜行バスもありましたが、
やっぱり狭くて、移動できないので、
列車の方がまだ肉体的にも精神的にも楽でしたね。

大垣夜行の場合は、大垣から京阪神に行く場合、
乗り継ぎ時間が10分以上あったので、乗り継ぎは
楽だったのですが、ムーンライトながらになると、
確か3分ほどしかなく、急いでダッシュして
乗り継がねばなりました。

今だと絶対、無理だなー。

そういえば、大阪の祖母宅から帰京する時、
新幹線の最終に乗り遅れ、夜行急行の銀河に
乗って帰ったこともあったなー。

それは上りの場合ですが、確か社会人になって、
東京駅で新大阪行きの最終新幹線に乗り遅れ、
銀河に久しぶりに乗ったこともあったなー。

翌日朝の始発の新幹線より大阪駅到着は速く、
東淀川区にあった祖母宅に8時過ぎに行ったら、
驚かれたこともありました。

ムーンライトながらほか夜行列車の思い出は
つきませんが、日本ではどんどん無くなっていますが、
ヨーロッパではまだまだ残っています。

コロナ禍があけたら、
ヨーロッパの夜行列車に乗りたいですね。
(イタリア国内ローマーシチリアや、
イタリアーオーストラリアなどの国際夜行列車)

夜行列車追想 (イカロス・ムック)


旅鉄BOOKS 029 昭和・平成の名列車がよみがえる 夜行列車の記憶



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