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母とおない年。八千草薫さん、亡くなる。

いくつになっても清楚で可憐。

八千草薫さんが、2019年10月24日に、
亡くなられました。

宝塚歌劇団の娘役時代は、存じ上げないのですが、
退団後の、テレビドラマでの数々の役柄、演技は
記憶に残っています。

膵臓がん、そして今年になってから、
肝臓への転移が見つかり、闘病に
専念したものの、復帰は叶わなかったようです。

残念です。

八千草薫さんは、
昭和6年、大阪のお生まれ。

母も同じ年。干支は未年。

母は若い頃、「八千草薫さんに似ている」
と言われていたそう。

もっとも「〇〇さんに似ている」には、
いろいろなバージョンがあるのですが……。

同い年ということで、活躍を
ずっと意識し続けていたようです。

亡くなられた夫である
映画監督の谷口千吉さんのご趣味が
山登り。

結婚後は、それがご自身の趣味となられたそう。

テレビで山登りについて話されている時の
生き生きしたお姿は、聞いているこちらまでも
嬉しくなるほど。

本当に山がお好きだったのですね。

叔母が随分前に八ヶ岳に山小屋を持ち、
現在では、一年の半分以上をそちらで
暮らしているのですが、こちらも
かなり前、八千草薫さんをお見かけした
と聞いたことがあります。

見間違いと思ったのですが、叔母曰く、
「あんなきれいな人を見間違いするはずはない」
と。

後で知ったのですが、八千草薫さんも
八ヶ岳に山小屋(別荘)をお持ちで、
夏などはそちらで生活されていたんだそうです。
(よく調べてみると、八千草薫さんの山荘は
八ヶ岳の東側、叔母の山荘は西側。見かけないことは
ないけれど、東京で言えば、皇居の東側と西側、
いやそれ以上の距離があいている)

なお八千草薫さんは、1954年公開の
日伊映画「蝶々夫人」に出演。

この時の話を「徹子の部屋」だったかで
お話しされていたのですけれど、この映画は、
もちろんイタリアで公開。(吹き替えされていましたが)

大きな評判をとりました。

後にイタリアで知り合った人のお母さん、お父さんは、
この映画のことを覚えていて、
八千草薫さんの神秘的な
美しさを絶賛していました。

とりとめもない思いをつづりました。

八千草薫さん。
安らかにお休み下さい。

数々の素晴らしい作品を
ありがとうございます。


今回の台風19号で多摩川の堤防のない
二子玉川の駅の近くから浸水し、
大きな被害が出ました。

その上流。かつて水害で家が流されました。
それを基にしたドラマ「岸辺のアルバム」。
八千草薫さんが主婦役。傑作です。






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