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内海桂子さんからいただいた都々逸絵画。

20
20年8月22日、多臓器不全で、
内海桂子が亡くなられました。

97歳でした。

内海さんは、テレビや浅草の寄席で
その芸を拝見したことがあります。

それとともに忘れられないのは、
ご近所にいらして直接お会いし、
絵と川柳の入った色紙をいただいたこと。

今から20年近く前になるでしょうか。

内海さんは、多彩な芸をもたれていましたが、
川柳、絵画など趣味も多彩でした。

時々の気持ちを川柳、都々逸にし、
そこに絵をつける絵日記をつけて
いらっしゃったそう。

ご自身の著作の挿絵も手がけられていました。

その作品がきっかけで、2002年に銀座三越で、
川柳、都々逸の入った絵をつけた作品の
初の個展を開催されました。

その個展開催の手伝いをされていたのが、
わが家のすぐ近所にある画廊(美術商)です。

おそらく個展の前の打ち合わせか、
開催されたすぐ後くらいの時期だった
と思います。

画廊の前を通りかかったら、知り合いの
画廊のご主人と目があい、手招きされました。

そこにいらしたたのが、内海さん。

挨拶をしたら、川柳、絵の話を
問われるでもなくされました。

どちらも誰かに教わった訳ではなく、
自己流だとか。

江戸以来、東京の人は、ことば遊びが好きで、
寄席でも、都々逸、軽口などをかける芸人さんが
多かった。

自分はその伝統の一端をうけつぎ、
三味線で節をつけて、しゃれ、粋な
言葉遣い、表現を出していると。

そして、その辺りにあった色紙をとり、
筆ペンでさらさらと文章を書いてくれ、
さらに色筆で絵も描いてくれたのです。

受け取ったあと、着物姿の内海さんは、
靖国通りの方に向かって歩いて行かれました。

今でもその時の様子が思い浮かびます。

「苦労嫌うな 苦は身の宝
 苦労しようじゃ 蔵が建つ」

今月9月12日で、
98歳を迎えられるはずだった内海さん。

またもう一度、舞台でお元気で芸を
披露される姿を見たかったのですが、
それもかないません。

ご冥福をお祈りいたします。

《荒川区の著名人「漫才師、漫才協団会長 内海桂子」》
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/interview/0404/index.html

《竹久夢二さんの絵を扱っている画商の港屋さんから
「個展をやりましょう」とのお話を頂き、「誰に習った
わけでもない、素人の絵など……」と尻込みする気持ちも
ありましたが、“なんでも挑戦”の精神で、平成14年、
銀座三越で初の個展を開催させて頂きました。》

港屋、内海桂子師匠の作品
https://yumeji-minatoya.co.jp/hpgen/HPB/entries/14.html

98歳のお誕生日に出る最後の著作、
波瀾万丈の人生を送られた内海さんに
ふさわしいタイトルですね。
経験に裏打ちされた言葉の数々が収められているようです。





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