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享年95。橋田壽賀子さん逝去。ご両親が眠る愛媛県今治市のお墓に。

脚本家の橋田壽賀子さんが
亡くなられました。

95歳でした。

橋田壽賀子さんの仕事上の功績は、
誰もがご存じなので、ここに記す必要はないでしょう。

数々の国民的ドラマを生み出されました。

その橋田さんには、何度か
お目にかかったことがあります。

いずれも都内の橋田文化財団の
事務所を兼ねていたホテルの一室。

「次は熱海の自宅・仕事場に来なさい」
と誘っていただいたのですが、実現しませんでした。

そのホテルの一室で、主にご両親のこと、
ソウル、大阪府堺市などでの思い出、
また脚本家として働き始めた頃の
お話を伺いました。

お話を伺う前に、
「今は禁煙、禁煙ってうるさいのだけど、
緊張をほぐすためにちょっと一服させてね」
と断られ、タバコを1本、優雅に吸われた後、
お話していただいたのを良く覚えています。

喫煙していたのは、先に亡くなられたご主人には、
内緒だったそうですけれど、脚本を仕上げた後などに、
ご自宅でもタバコを吸われていたそう。
(ご主人が在宅中は、決して仕事はしなかったので、
タバコもいない時にたしなんでいたそうです)

橋田さんは、日本統治時代の京城
(現在の大韓民国・ソウル)で、
大正14年(1925年)に、生まれ、
9歳まで過ごされます。

その後、大阪府堺市に帰国。
女学校を出られた後、上京し、
日本女子大学文学部国文学科に入学。

この時期、国語学者の大野晋さんに
指導を受けられ、学者を志し、
東京大学を受験するも失敗。

もし受かっていたら、
どんな人生だったかと思うことはあると。

大野晋先生は、私も存じ上げていたので、
先生の思い出話でも盛り上がりました。

卒業した後は、もう一つ受検して受かった、
早稲田大学第二文学部国文科に入学。
歌舞伎を見て演じることに興味を持ち、芸術科に転科。

ご本人は、脚本塾に通って脚本の勉強をしていたものの、
書くことよりも、本当は俳優として活躍したかったそう。

また「早稲田は卒業した人より、中退した人の方が、世に出る」
というエピソードがお好きで、「私もその1人」と冗談のように
おっしゃっていました。

けれど中退は、人生の節目節目で立ちはだかった
過保護の母親との葛藤が理由でした。

大阪の実家から、東京の伯母さんの家に
下宿していた橋田さん。
ずっと生計を立てる方法を探していた折に、
見つけたのが松竹の大船撮影所脚本養成所の
研修生募集。

1000人余りの応募者の中から、1年がかりで、
6人が選ばれたのですが、その紅一点が橋田さん。
大学在学中のことで、松竹初の女性社員誕生と
騒がれたそう。

それを知った、お母様が会社に落とすように連絡。
橋田さんは、「なんとか入社を」と懇願。

折衷案として、大船ではなく、
京都撮影所に実家から通う
ということになったそう。

しかし、大阪堺の実家から
京都に通うのは難しく、
数日で実家を出て、京都に下宿。
一方で大学に通い続けることも難しく、
中退のやむなきに至ったと。

そんな思いをして、松竹に入社し、
脚本部に所属したものの、同期の男性は、
すぐに脚本を書かせてもらったのに、
自分は手伝いのみで、ずっと書かせてもらえず、
憤慨したそう。

あげくのはてに、脚本部から秘書課への
移動を求められたため、
退社することを決意したとのことです。

退社後は、誰にも依頼されないのに、
脚本を書いては、テレビ局に売り込む毎日。

しかし全く相手にされず、食べていくために、
小説、漫画の原作を書くなどしていたとのこと。

テレビ局では、机の上に山のように積まれた
売込み脚本を見て、少しでも目立つようにと、
原稿を綴じるのに、赤色のひもをこよりとして使い、
自分のものとわかるようにしたとも。

そうしたお金のない時代にも、日本各地を一人旅。
当時、女性の一人旅は珍しく、泊めてもらえない所も
多かったそうですが、ユースホステルなども利用したそうです。

こうした旅先での経験が後のドラマの
発想の元となったと話されました。

「なので若い間は旅行しなさい」と勧めてくれました。
もっとも橋田さんは、わかい時だけでなく、亡くなる直前まで、
クルーズで世界中を回られていらっしゃったのですけれど。

あの国民的ドラマ「おしん」は、
旅行ではなく、大学に入る前、戦後の混乱期に、
伯母の疎開先である山形へ行った時に、
「奉公に出る子どもは筏で最上川の激流を下った」
という現地の人の話がもとになったそうです。

「いつか、この話をドラマにしたい」
とずっと思い続けていたとのことでした。

実現の直接のきっかけとなったのは、
壮絶な人生を過ごした
明治生まれの女性からの手紙。

激動の時代を過ごした女の物語を書こう
と決意したとのこと。
これは、後の数々のインタビューでも
お答えになっているのですが、
「おしん」の生まれ年は、昭和天皇と同じ明治34年。

「天皇陛下にも見ていただきたかったから」。

話がお好きなようで、次から次へと
面白いエピソードが出て、こちらは
ずっと笑うやら、涙ぐむやらで受け身の状態。

けれど、上の大野先生の他に、
自分と思わぬ共通点もありました。

それはお墓。

嫁姑話から、ご主人の岩崎さんが眠るのは
お姑さんと同じ静岡県沼津市のある霊園だけれど、
そこには入らないと。(記念品だけは入れる)

というのは、お姑さんから、橋田さんに直接、
「お前はわが家の墓には入れない」と言われたので、
死んでからも、もめたくないから。
(義理の兄からも岩崎家の墓には入れない
と言われたとのこと)

「どこに入られるおつもりですか」と伺うと、
「両親が眠る愛媛県今治市のお寺のお墓に」と。

実は、私の親戚も、その今治のお寺にお墓があるので、
そう申し上げたら、今治には、墓参りなどのため、
何度か行ったことがあると、思い出を話してくれました。
(今治はお父様の故郷。お父様は今治の漁業を生業とする
家の長男だが、朝鮮半島に渡った。当時、日本から
外地に渡る人は多かった。こうした境遇もドラマの
題材となっている。ちなみにお母様の故郷は
徳島県の現・板野郡藍住町)

橋田さんは、その後、終活ノートなどをつけて、
身の回りのモノの処分、遺産など、
様々なことについてしっかりと書かれていたよう。

お考えに変わりが無ければ、ご両親と一緒の
今治のお墓に入られることになるのですね。

去年、久しぶりに今治を訪れましたが、
親戚のお墓には行けませんでした。

コロナ禍も落ち着いたら、
親戚の墓参りとともに、
橋田さんが眠る今治のお墓を訪ねて、
生前の御礼をしたいと考えています。

追記 2021年4月10日
8日にバスで今治に向かった
橋田文化財団の関係者、泉ピン子さん、
熱海で交流のあった友人ら10人は、
9日午前8時前、市内の寺に到着。
午前8時から納骨式が行われました。
読経の後、午前8時半過ぎから納骨。
お寺の北側、見晴らしのよい高台にある
ご両親が眠る橋田家の大きなお墓に
遺骨が収められました。
遺骨は分骨され、熱海市内の寺にも
納められるとのことです。
(泉ピン子さんがまだ独身の頃、橋田さんと
お二人でこのご両親の墓を訪問。お寺の方に
橋田家に百回忌の方がいると言われ、急遽、
法要を依頼。ご両親菊一、菊枝とのお名前が
刻まれたお墓が小さくて一部欠けてもいたことを
ピン子さんから指摘され、頭にきたので、
大きくキレイに建て替えたようです。
またこのお墓は橋田壽賀子さんの代で絶えてしまうので、
お寺に永代供養もお願いもしているそうです)

○富士山のふもとにある「文学者の墓」。
 文学に携わった方々が眠る霊園。
 こちらにはご主人愛用の時計と、
 ご主人から贈られたご自身の時計を、
 ともに入れて、供養してもらおうと
 生前に語っていました。
 「同じ時を刻んだ」
 「再び夫婦の時間が流れるように」
 との思いを込めて。

関連エントリー
橋田壽賀子さんが「おしん」で本当に伝えたかったこと。「おしんの心」。


人生ムダなことはひとつもなかった~私の履歴書



安楽死で死なせて下さい (文春新書)


2022年6月23日、追記
◯このエントリーに多くのアクセスが集まっています。
 おそらく泉ピン子さんが、述べて、報じられた
 橋田壽賀子さんの葬儀費用、豪華客船「飛鳥」から
 海洋散骨したとの内容が事実ではないのではと
 週刊誌が報じたためと思われます。

 なお橋田壽賀子さんのご遺骨は、当初、
 熱海の自宅にいらっしゃる人のために
 分骨されていましたが、その分も含め、
 現在は、すべてこのエントリーに記した
 今治にある橋田家の菩提寺内のお墓に
 収められているとのことです。

2022年6月29日、追記
〇またこのエントリーにアクセスが集まっています。
 女優の泉ピン子さんが、今日、午後9時からの
 番組「決断の瞬間に密着! いきざま大図鑑」に出演と
 番宣や番組情報で取り上げられたからかも。

 この番組では、6月2日にご自身の墓を買ったと告白した
 泉ピン子さんが、終活について語る予定とか。
 葬儀はしないこと。死に装束、棺にいれるものも
 決めているとのこと。
 終活の一環として、大量のバッグ、洋服などを
 処分する様子も流れるみたいですね。
 さらには橋田壽賀子さんとの秘話も明らかにするとのこと。
 どんな話がされるのか興味深いですね。

追記 2023年2月5日
〇アクセスを頂いています。
 2023年4月で亡くなられて2年。三回忌ですね。 
 TBSでは追悼ドラマ「ひとりぼっち」を放送予定だそうです。

2023年2月13日 
 『ひとりぼっち―人と人をつなぐ愛の物語―』
https://www.tbs.co.jp/hitoribotti_tbs/archive/20230129/


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