SSブログ

いなげやと「鎌倉殿の13人」。

もうかなり昔になりますが、
愛媛県の親戚(従兄弟)が、
進学のため、上京してきて会った事があります。

その際に従兄弟が、
「アパートの近くにあるスーパー『いなげや』に
買物に行くたびに、『いなげやっていなげな名前だ』と思う」
と話したことを今でも覚えています。

あなたはこの意味がわかりますか。

愛媛県(伊予弁)や広島県(広島弁)では、
「いなげ(な)」とは、「変な」「おかしな」
とか「変わった」という意味です。
ネガティブな言葉ですね。
ずっと気になっていて、かなり経ってから、
この「いなげや」の社名の由来を調べました。

(創業者猿渡波蔵は、現在の川崎市多摩区と
東京都稲城市の境付近にあった農家の出身)
《いなげや物語》
《店名は鎌倉時代に波蔵の出生地一帯を統治していた豪族、
稲毛三郎重成侯にあやかったものです。》
https://www.inageya.co.jp/company/about/story.html

おお、稲毛三郎重成。

ちょうど、2022年、大河ドラマ
「鎌倉殿の13人」が放送されていますけれど、
出てきますね。

稲毛重成
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/cast/inage-shigenari.html
《北条時政の娘・あきを妻に迎えた武蔵の豪族。》
コトバンク、
https://kotobank.jp/word/%E7%A8%B2%E6%AF%9B%E9%87%8D%E6%88%90-1055454

そう、北条時政の息子・義時(小栗旬)の
異母妹の夫になります。
(宮沢りえ演じるりくの実の娘と結婚)
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/cast/21.html

この稲毛重成は、愛妻家で知られていて、
頼朝の再上洛に随行。その帰り路、
美濃国で妻の危篤を知ります。

その際に、頼朝から駿馬「」を下賜され、
稲毛荘に急ぎもどるのですが、間に合わず。

妻が亡くなったことを悲しみ、出家。
道全と名乗り、以降、稲毛入道、
小沢入道と呼ばれます。

さらに亡き妻のために相模川に橋をかけます。
この橋の落成供養に頼朝が出席。
その帰り道で落馬。この怪我がもとで、
間もなく亡くなってしまいます。

この橋は長らく所在わからなかったのですが、
なんと1923年(大正12年)の関東大震災による、
液状化現象で、土の中から現れます。

現在、そこは、「旧相模川橋脚」として、
国の史跡および天然記念物となっています。
https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/shiteibunkazai/1006254.html

実は、ここにも行ったことがあります。
これもかなり前になりますが、
お世話になった作家の先生のお住まいが茅ヶ崎で、
こちらに連れて行ってもらったことがあったのですね。

なお重成は、畠山重忠の乱の際、
従兄弟の重忠(彼も時政の娘をもらっている)が、
北条時政により、殺されるのですが、それは、
時政の意向を受けて、無実の重忠を
讒言したとされ、時政とともに、
自身の子や弟など一族が討たれてしまいます。

なおこの一族の多くは、武蔵の国から、
讃岐に逃れ、今の香川県まんのう町辺りに、
定住しました。

これも全くの偶然なのですが、あるご縁で
知り合った稲毛さんは、この香川県のご出身でした。

上京した後、向ヶ丘遊園近くにある
広福寺にお参りしたそうです。

《広福寺の寺地は、源頼朝の有力御家人の一人であった
稲毛三郎重成の館跡ともいわれており、本堂内には
木造稲毛重成坐像(桃山時代作)が祀られているほか、
観音堂の裏には重成の墓といわれている五輪塔が伝えられています。》
https://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000093.html

今では上に記した従兄弟、作家の先生、
知人などとは、疎遠になってしまい
ましたけれど、コロナ禍が収まったら、
稲毛三郎重成を含め、「鎌倉殿の13人」
ゆかりの場所を巡ってみたいですね。


NHK大河ドラマ るるぶ鎌倉殿の13人 (JTBのムック)


〇追記 2023年4月26日
 イオンがいなげやを連結子会社化との 
 ニュースが流れたせいか、このエントリーに
 アクセスが集まっています。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。