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井伏鱒二の「山椒魚」は作者米寿の頃に改訂。最後が削られる。作品は誰のもの。ディレクターズカット。

2023年11月5日、日経新聞のコラム春秋で
作家の井伏鱒二の話題が取り上げられていました。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75869700V01C23A1MM8000/

今年没後30年、神奈川近代文学館で
回顧展が開催中。

その井伏の困った癖として、
繰り返し改稿の筆を入れると紹介。

その一例として、米寿の頃、
教科書にもよく取り上げられた
短編「山椒魚」の結末を削ったと。

岩穴に閉じ込められたサンショウウオとカエルが
意地をはりあうものの、最後には和解の光が差す
というのがラストでしたね。

たしか自分も高校の時だったかに
教科書で習った記憶があります。

調べてみると、それまでにも小さな改訂はあったようですが、
「春秋」に記された最後(の17行)をバッサリという改訂は、
昭和60年、新潮社版自選全集発行の際に行われた。

ただ、現在発行されている「山椒魚」は、
削らない以前のバージョンとなっているみたいですね。

最後の部分を見てみましょう。

以下で見られます。
https://viewer-trial.bookwalker.jp/03/15/viewer.html?cid=44462175-c68c-424f-9d13-0f449c159dd1&cty=0

《更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。
けれど彼等は、今年の夏はお互いに黙り込んで、そしてお互いに
自分の歎息が相手に聞こえないように注意していたのである。》

以下は、削除された以前のバージョン。

《ところが山椒魚よりも先に、岩の凹みの相手は、不注意にも深い
歎息をもらしてしまった。それは「ああああ」という最も小さい
風の音であった。去年と同じく、しきりに杉苔の花粉の散る光景が
彼の歎息を唆したのである。
 山椒魚がこれを聞きのがす道理はなかった。彼は上の方を見上げ、
かつ友情を瞳に罩めてたずねた。
「お前は、さっき大きな息をしたろう?」
 相手は自分を鞭撻して答えた。
「それがどうした?」
「そんな返事をするな。もう、そこから降りてきてもよろしい」
「空腹で動けない」
「それでは、もう駄目なようか?」
 相手は答えた。
「もう駄目なようだ」
 よほど暫くしてから山椒魚はたずねた。
「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」
 相手は極めて遠慮がちに答えた。
「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」》

〇初出は『幽閉』という題で、1923年(大正12年)に
 早稲田の同人誌に発表されたもの。
 その後、大幅に改稿されて、1929年(昭和4年)、
 同人雑誌『文芸都市』5月号に『山椒魚』という題で
 再発表された。

うーん。
どうですかね。

削除された部分がないと、
サンショウウオ、カエルの
心情、立場がわかりにくいですね。

読解力、想像力がある人からしたら、
最後は余計なのかもしれませんが。

井伏鱒二にとっては、
この「山椒魚」は初作品で、
思い入れがあるものの、
若い時に書いた作品であり、
その後の長い人生を経て、
いろいろと思い当たったことが
あったのかもしれませんね。

文学では無く、映画などの映像作品は、


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